コラム

2015.06.11「なんにもないところから芸術がはじまる」椹木野衣さん著<新潮社>

「なんにもないところから芸術がはじまる」 椹木野衣さん 著 <新潮社>
「第十二章:大竹伸朗 ー 寒さと残酷さからなる響きのブルース Ⅱ」を読んで学んだことと考えたこと。

150611-なにもないところから

「建築」は先進文化であり続けられるのか。(傲慢か?)

「既にそこにあるもの」=〈リノベーション/リ・イマジネーション時代〉

 

○「全景」的視点を獲得し”既にそこにある”「日本景」とどう対峙するのか!「都市+建築+デザイン界」(ばかりではなく日本社会)の課題である。昭和までのように目を避ける、嘲笑する、ただ批判する、有無を言わせず排除するだけでは”建築”自ら思考範囲を狭くし、身勝手さを増幅、社会のなかで相対的地位を落としてゆくだけである。(多少抵抗したにせよ、いずれ大衆文化に飲み込まれ、大衆とともに生きてゆくしかなくなる。)

「都市+建築+デザイン」が、大衆文化の「師匠!」が作った大衆文化のガラクタの山を避ければ避けるほど、”建築”は都合のよい一部しか見ることのしない懐の狭い文化となり、決して都市全体を俯瞰できるような上位文化とはならず、偏狭性の強い従属的文化(分野)に陥ってしまうだろう。
実際もう既にそうなりつつある。21世紀に入り、床あまり・空き家時代に突入し、ハードが足りなかった時代の”新建築分野”の社会的提案性が薄れ、役割も少なくなってゆくのと同時に、建築家の社会的な存在意義も薄くなっていき、個人作家としての作品センスの優劣のみが肥大化してゆく状態だ<個人領域の作家・作品主義の時代>。近代教育の目標である坂の上にある輝く都市・新建築の必要性がますます減少していくこれからの時代、建築家は個人領域の蛸壺に入っていく・・・

○この先、もし本当に一定規模の面=町全体を相手にするならば、存在するもの全てに、真摯に、平等に向き合う必要がある。右肩上がりだからこそ成立する排除の時代は終わった。これからの日本では、”フラットで多様な価値が混在する底の抜けた世界”が標準化した、右肩上がらない社会的包摂時代を生きていかざるをえない。
「全景」のなかで「既にあるもの」を「師匠!」として何を産み出すことができるのか?この文化を確立することができなければ、これから先、時代のアップデートはできないだろう。その一つのヒントが大竹伸朗さんの作品に隠されていました。

 

■ 昭和の日常的大衆景観とは何か?

椹木野衣さんは、坂口安吾→赤瀬川源平→大竹伸朗をつなぎ、日本の近代以降の昭和の日常的大衆景観を的確に評価分析されています。

この章では、大竹伸朗さんの作品の本質とは何かを論じた内容なのですが、読んでみると私が考えてきた、まちなかの日常的大衆景観(=日本景)の、何を、どうみて、どう考察、どう対峙していけばよいのか、つまり、近代消費社会が産み出したガラクタのみなさん(=既にあるもの)を、”全景”のなかで、どのように位置づけ評価し、向き合っていき、共に生きてゆくのかを導いてくれる内容となっていました。

この章をとおして、どこにでも転がっている、まちの景観、文化の方向性について考えてみましょう。

 

■ 二つの”私観”

〈*この章に、坂口安吾が出てきます。私が坂口安吾を知ったのは学生時代。ブルーノ・タウトの超有名な日本文化私観を調べている過程でした。日本文化の本質を見抜き、その素晴らしさを分析し解説、桂離宮を世界の建築に押し上げた超有名な世界的建築家のブルーノ・タウト。この時代にわざわざ日本に来ていただき、わざわざ絶賛していただいたにも関わらず、おそれおおくもそれに対してカウンターを喰らわす日本人がいたのです。それが坂口安吾のもう一つの「日本文化私観」です。笑〉

坂口安吾 → 小菅の刑務所やドライアイス工場、港町の小さな軍艦→「なぜだか美しい」「直接心に突き当たり、はらわたに食い込んでくるもの」
→反精神主義
「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して滅びはしないのである」

〈*全てのものには、2以上の”面”がある。すでに、マスメディアの全面支配の時代は過去となり、携帯端末+電脳世界が大衆化されているなかで、一つの面で物事を見ることは情報を遮断し一部しか見ないことであり、全体を見ることにはならない。一つの面のみでみんなを説得することなどできなくなってしまった。多くのものは多面的であり、何かしらの矛盾を抱える。矛盾なき論理構成は、原理主義のみが可能であり、矛盾がかならず発生してしまう常識の世界では、結局多くのもが「51対49」になってしまう複雑な時代になってしまったのだ。次はどっちに転ぶのか分からない…。
ブルーノ・タウトの私観と坂口安吾の私観(+その他)、両方を理解するような視点の広さがなければ、全体<複雑で多様なる底なしの丘陵化した世界>を見渡すことさえできないやっかいな時代になってしまった。(そもそも全体を俯瞰など不可能で誰にもできないのだが)〉

 

■ 次に、赤瀬川源平さんの登場です。

1963年の「読売アンデパンダン展」を前に美術作家としての赤瀬川源平が終わったとのこと。その後たどり着いたのが「トマソン」でした。

○赤瀬川源平さん→作るものがない→ つくるのをやめる(芸術の外にでる)→「行為」へ超芸術(トマソン)大衆文化ジャンルの創設
「作らず、行為する」ことへと突き抜けることで芸術を超え、文字通り「超芸術」の領域を模索する「さ迷い」へと足を踏み入れた。

○大竹伸朗さん→作るものがない→芸術内にとどまる→脱作品
「作るものなどない、でも作り続けなければならない」という矛盾した命題に正面から答える。

○赤瀬川源平さんと大竹伸朗さん「師匠!」に対する振る舞いの違いが両者を分ける

 

■ 大竹伸朗さん

『「新しさ」をめぐる近代的な評価の基軸を変えなければ見えてこないあるものが、大竹の作品には備わっている。』

 

○「貧者の栄光」

・アウトサイダー・アーティストではない。
・ジャンクアートではない。
・外部でもなければ、内部でもない → 影
・影は他者だろうか、部分だろうか?どちらでもない。本体にとっての余剰物からできているにもかかわらず、輪郭は本体そのもの。

『強大な国家のように威圧的な美術史というシステムに対して、そこに飛び込むことで内部を改変したり、ましてや、その懐で策を練り地位を上昇させたりするのでは全くなく、つねにその傍らに居つつも、たったひとりでその巨大な全容に等しく拮抗しようとしている。』

 

○「貧弱の前衛」

・統一スタイルがない。一貫性がない。→ 上の次元=「全景」

・無為なもの、捨者
・富者の美術史側ではなく、ゴミの側につく
・芸術 ー 芸術でない、ジャンルを形成しない
・美術史的理解は大竹の作品を見るうえで最重要な要素ではない。
・自作を「美術」というエスタブリッシュメントによって排除されて来た人たち ー ほんとうにどこにでもいる人々に向けている。
・ウィルス、史的位置付け
・まっすぐ感覚に訴えかけてくるか否か

 

○「美術館」
『美術史の遺産がエントロピーの法則に従って無秩序なカオスに帰してしまうことを懸命に食い止めるための機関』『美術館とは、遠からず巨大な粗大ゴミとしての廃墟と化す宿命を、少しだけ先へ押しとどめているだけなのだ。』
→『この世のすべてのものはいずれゴミへと帰する運命にある…美術作品がいずれ辿る道を、身近で拾ったゴミであらかじめ予兆させている…大竹の生み出す美術は、美術史の行く先をあらかじめ先取りした部分ではなく総体なのだ。』それが「全景」。

 

■ 「日本景」(ジャパノラマ)

大竹さんも、スティーブ・マックイーンの「拳銃無宿」のペンキ絵(看板絵)を見て大きくこころを動かされていたようだ。


大竹「一瞬のマックイーン」、『既にそこにあるもの』P427-428

『そして一瞬、目の前を通過したそのペンキ絵が、なぜあれぼどまでに自分の内側に食い込んできたのか、全く理解できなかった。(中略)
当時は理解できなかった、一瞬のマックイーンの絵看板も、塗りかけの下地が透けた看板も、あれは今、自分が思い描く一瞬の「日本景」だったのかもしれない』

 

〈*「日本景」と名付けられたこの景色は、日本のまちの景観を形づくってきた昭和の残債、近代大衆デザインの集合体である。
それまでの日本文化→手の跡が残る自然物質・自然劣化文化
それに対し昭和文化が目標としてきたのが現在の文明、高耐久、高耐候、防汚、安定化物質による素材模造品文化+物質劣化防止コーティング文化、〉

 

○『「全景」とは、全てがゴミでできた世界であり、そこでは、あらゆるひとが等価の存在となる。そこでは、作品だけでなく、見る者もまた、巨大な「全景」の一景をなすものとしてゴミの一部となるのである。』

〈*デザインが今ほど大衆化していなかった頃、豊かさを今ほど実感していなかった頃、未来に大きな夢を抱いていた頃、すべてが豊かさに向けて右肩上がりだった頃、町並みは目まぐるしく変わってゆく流行のファサードに彩られていった。右肩上がりだった高度成長期、作るだけ売れた時代、マスメディアが驚異的な速度で人々の脳内を占拠していった時代、まちの全ての面=ファサードは、広告で埋め尽くされるような勢いある時代だった。これが第一次高度成長期の町並みを構成する。

昭和、ミッドセンチュリー、鋼板にペンキで描かれた広告は、ベタでちょっと外れた、少しノイズィーな、自然に笑みのでる滑稽さも持ち合わせた”B級”という名にふさわしい作品であった。このB級作品の中でも優れた作品は、B級でありながら、なぜか心に突き刺さる作品がある。それは、A級=プロの作品では味あうことのできないB級固有の表現であることがわかる。これがなんなのかを探求し、突き詰めてゆくことで、行き詰まった排除の論理で動いてきた昭和モダニズムをアップデートさせようという試みが必要な時代なのだ。
大竹伸朗さんの脱作品の試みが、一つの手法となる。

本文にはB級特有の表現・存在感・意味について次のように表現されていました。『ー その通りだ。そこに渦巻いている得体の知れない力。どこからやってくるのかわからない増殖をやめない多産性、しかもそれがなんら意味に結びつかない強度の連続 ー 』〉

 

○脱作品 → 一つの答え

『東京にいた頃は平面的な小物が多かった…宇和島へ来てからは、路上廃棄立体物との突然の出会いが増えた。平面の小物は見つけた瞬間、作品上での行先が、ほぼかたづくのだが、この手の立体物は手ごわい。こちらの意識に入り込んだ瞬間、モノが「おっ、若いの、気に入ったって?で、オレを一体どうする」とこちらを問い詰め、ニジリ寄って来る。』(大竹「宇和島のてごわいモノ」同前書、P.277)

「で、オレを一体どうする」→「どうするこもない」「どうすることもなさ」自体を極端に推し進めることで、手強い「師匠!」や「既にそこにあるもの」に答えようとしている。

「既にそこにあるもの」に対しては、表現主義的にそれを加工することで作品へと変換するのではなく、もはや一切の表現の余地がないくらい徹底して脱作品化するということだったのではないか。

「既にそこにあるもの」 → 『永遠に過去につながれたものが持つ、あきらめにも似た無表情』
これはまさに十数年前に見たリノベーションがはじまる前の手入れを怠って朽ち果てそうな築40年を生き抜いてきた山王マンションの姿そのものだった。思い返せば、十数年前、山王マンションでの”この体感”により、”この感覚”=『永遠に過去につながれたものが持つ、あきらめにも似た無表情』が自分の感性に突き刺さった瞬間、それが「リノベーションとは何か」の本質を知ったときだったのだ!

 

■ 「ウィルス」

大竹「瀬戸内網膜造船所Ⅱ」、同前書、P.381、
『無意識のうちに理屈で物を見たり考えたりしてしまう状態とは、感知しないうちに人の内部に入り込んだ質の悪いウイルスの仕業に似ている。そのウイルスは人を繰り返すことの正統化と自己満足へと導く。新しい価値観をつくり出そうとするあらゆる分野において、このウイルスは非常に危険だ。』

このウイルスを徹底して排除し、既成の知識やまわりの意見と矛盾していようがいまいが、目の前のものを見たときの疑いえない感覚から出発すること、そのとき、そこにはゴミもなにもない。

〈*路地研での町歩きで学んだことは、建築を学び、携わるなかで感染してしまった建築ウイルスをいかに駆除し、もともと持っている自分の感覚で目の前の”既にあるもの”を直視できるのかということでした。

まず自分の感性力で、「既にあるもの」を直視すること。何よりもこれが重要ではないでしょうか。その上で学んできた建築その他の経験・知識・想像力などの総合力で解析、分析、評価、してゆくという工程を踏んでゆくことです。

しかし、この工程を踏むことは簡単ではありません。今まで地道に積み上げ、学んできたことを否定することが多々あるからです。しかし、昭和時代終わり、新しい文化、新しい社会、新しい規範、新しいつながり、新しいシステム・・・に移行していく今、避けることはできません。〉

 

■ 「文化の震度」

『これは、文化に対する感受をその文化が所属する分野への統合の度合いによって評価するのではなく、そのような内向への傾斜そのものを大きく揺るがし、亀裂を入れ、場合によっては破壊してしまうような諸ジャンルの衝突の大きさによって把握し直そうという考えによっている。』

リフォーム時代とリノベーション時代、決定的に異なるのは「文化の震度」だったのだ!リノベーションとは何かを考える過程で「出建築」を選ばざるを得なかったのも、リノベーション文化が諸ジャンルを横断、巻き込んだ巨大震度の文化移行現象だったからだったのだ!

『「既にそこにあるもの」「なんにもないところ」両者の99%の一体化と、わずか1%の絶対的距離のあいだの無限の裂け~と震えのなかにこそ、芸術の秘密があるのだろう。』

 

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