コラム

2012.10.17多様なる視点が魅力の日本の大衆文化

私が持っているだけでも、このようにバラエティーにとんだ、様々な視点で構成された本があります。

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日常、外出して何気なく街を歩いている時、自分は何を見ているのか?他の人達は何を見ているのか? 非日常、旅行に行った時、自分は何を見ているのか?他の人達は何を見ているのか?

実は、わたしが何を見ているのかは、自分でよくわかっていません。 ましてや、他の人達が何を見ているのかなど、改めてたずねることもしませんのでよくわかっていません。 数人で歩いているときに、誰かが目に入ったものを、ふと言葉に出して話題にしたとき、自分が見ているもの、他の人達が見ているものが、初めて認識されます。

いざカメラを持って街並みを撮るといった時、何を撮ったらいいのかわからなくなります。あらためて景色を見て、無限とも思えるほど様々なもので構成されているものの中から、自分の目につくものが何なのかを探りながらレンズを向けると、徐々に自分は何に感じているのかを自分で知ることになります。”見る”という行為を認識すると風景を意識して観るようになり、いままで気づかなかったものに気づくようになってきます。

上の写真のように、これだけの多様なる視点で構成された本を見ると、いまや、こう見るべきだという一つの視点(=考え方)でものを見るという時代が終わったのを感じます。 「私はこう見る、あの人はこう見ている、新たな見方を見つけた・・・」というように自分の見方をつかみ他の人達と比べたりしながら、たとえば、街並みをみんなでみるとおもしろいと思いませんか?

日本では、新しい視点が次々と発見され、それがメディアで発表され、一定の賛同者を得ることができる文化になったのです。

 

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