コラム

2015.02.20■ 建築+デザイン界を侵蝕する「セカイ系」-02


建築+デザイン界をとりまく二つの”セカイ系” - ”セカイ系”のリ・イマジネーション

 

■ 0年代を象徴する作品様式

0年代、サブカル界では数多くの”セカイ系”と呼ばれる作品が生み出されました。「セカイ系とは何か?」や、Wikipediaを読むと、その定義は必ずしも確定的ではなく、論者(鑑賞者や作者など)の視点や作品の質の変化と共に移り変わっていき収束を迎えているようです。
既にサブカル界の”セカイ系”作品ブームは終わってしまったようなのですが、様々なイメージをわきたててくれる”セカイ系”という言葉は、マンガ・アニメ・ラノベ界だけに限定するにはもったいない魅力的な言葉だと思っていました。いろいろ現在の建築+デザイン界の状況を見渡してみると、いくつかの現象を説明するのに適した言葉ではないかと思い、自分なりにリ・イマジネーションして、建築+デザイン界の”セカイ系”について考えて見たいと思います。

 

■ “セカイ系”からイメージした建築+デザイン界の現象は次の二点です。

 

1. 作品としての”セカイ系” : 建築家つくる作品の”セカイ系”的側面。
2. 電脳空間=サイバースペースの建築+デザインメディアのグローバル化としての”セカイ系”

 

「1. 作品としての”セカイ系” 」は、難しくなかなかまとまらないので(笑)、まずは「2. 電脳空間-サイバースペースのグローバル化としてのセカイ系」を考えてみることにします。

 

 ◯ 世界 → 実体空間の世界
 ◯ セカイ → サイバースペースの世界

 

“世界”と”セカイ”はかけ離れた別世界。

これらを定義し、現状、そして、これからの建築+デザイン界を俯瞰し予想する。

 

■ 海外のwebマガジン勃興期

海外に向けて自分の作品を発表することなどあり得ないと思っていました。わずかな可能性として、とにかく日本国内で有名になり、名声を得て、ようやく海外のメディアに取り上げられる(かもしれない)という、絶望的にも思えるほど果てしなく長い道のりが必要だったのです、それまでは・・・。0年代の中頃からでしょうか、それまではどうしても必要だった日本の専門業界の”つて”と全く関わることなく、個人が直接”セカイ”とアクセスし”セカイ”に向けて自作の発表をすることが可能となってきました。自分のパソコンから海外のネットマガジンに直接アクセスし、アップロードすれば、いとも簡単に海外ネットマガジンに掲載、世界のみなさんに見てもらうことができるのです。これがインターネットがもたらした建築+デザイン界の”セカイ系”現象です。

海外のWebマガジンに掲載されたとき”世界進出”などと思ったこともありましたが、それは、Webマガジン以前の現象+実感であり、10年代半ばを迎えた今、以前とは意味が全く変わってしまっています。Webマガジン掲載はネット以前のような意味での海外作品紹介ではなく、作品投稿サイトYoutube同様の意味合いとなっています。以前のようにプロのなかでの格付けや格式を重んじるのではなく、とにかく閲覧者を飽きさせないように刺激を与え続けていくための情報量の多さと多様性がなによりも重要です。Youtube同様、プロも、アマも、スーパースターも、学生も、国や地域にかかわらず、同じプラットフォーム上に次々と時系列的アップロードしてゆくだけです。

 

■ 海外のWebマガジンに作品を投稿した結果、次のような変化、現象、感覚、懸念などがあると思いました。

 

1. 場所性喪失、距離感覚の歪み

実体空間とサイバースペースの空間認識解離現象
場所性・距離感覚の喪失、デザイン感覚の均質化、対照的に地域性・固有文化の割増評価

建築にとって”場所性”は大きなテーマであったはずなのですが、”セカイ”では現実感覚が歪んでしまい、マトリックス内に存在している感覚に陥ってしまっているようです。であるがゆえに、地域性・固有文化が突出した作品が、より評価されている(刺激を与えている)面も見受けられます。しかし全体的には、建築技術の発達による自由形態実現能力の飛躍的向上もあり、場所性・地域性によらないマトリックス空間的計画案、デザインが多く見られるようになってきているのではないでしょうか。(文化全体的にそうですね)
モダニズム拡大期のはじめ、世界中どこでも同じモダンスタイルの建築、いわゆる”インターナショナルスタイル”で作ってしまおうという建築様式統一グローバル化運動がおこりました。その反発としてのポストモダニズム運動が起こり、先進国の高度経済成長というビッグウエーブ上で百花繚乱のデザインが世界をそして日本を覆い尽くしたのですが、本当のポスト(アフター?、レイト?)モダン社会が到来と、インターネット上のサイバースペースの肥大化というグローバル化により、新たな場所性・距離感覚の喪失、デザイン感覚の均質化現象が起きています。

 

2. メディア環境激変

Webマガジン勃興期。欧米で次々とWebマガジンが創刊されている。
ジャンルの横断。建築専門もあるが、デザイン全般、ファッションでも建築を取り扱っている。 国内の雑誌媒体の衰退、消滅の危機。昭和を脱却できない八方塞がり状態。

インターネット最大の特徴の一つである個人端末からのグローバルアクセスが、世界的にも高水準を保っている日本のガラパゴス的専門メディア界を震撼(?)させています。
“セカイ系”成立の社会・文化・技術の変化として下記の3点が考えられます。

1,ネット時代→日本社会(業界メディア)をスルーし、”セカイ”直アクセス。
2,専門分野の大衆化→CASABRUTUS等、一般メディアの台頭→昭和モダニズム建築的”世界”の終焉。
3,専門業界のノスタルジー体質→過去のデータベース参照体質。”新セカイ”に踏み出せない昭和の継承。

大きな物語(社会共通の目的意識)がなくなり、自分の作品の質のみに意味を見いだす時代性。アート、彫刻、デザインと同列のオブジェ作品が、主流となっているように感じています。
一方、公共性、コミュニケーションというソフトデザインを主コンセプトとするソーシャルデザイン、コミュニティデザインの流れがでてきていますが、画像中心のメディアとの親和性が低いので、なかなか取り上げられることがありません。

 

3. 国境なきサイバースペース
またたくまに世界を駆けめぐる作品情報。コピペの氾濫。

 

4. 国内評価の相対化
これまで国内価値が絶対的指標として機能してきましたが、徐々に様々な分野で、海外の評価価値も影響力が大きくなりつつあります。

 

5. 高度大衆文化時代:
大衆文化は高度化し、専門分野を無差別に侵食しはじめています。
20世紀の”物”に代わり、文化的消費意欲はすさまじく、人びとの関心は様々な分野におよんでいます。

 

6. 建築(史)の終わり(?)
グローバル化に翻弄され、減築時代の過当競争に翻弄され、中間社会が溶解した、セカイの中に”きみとぼく”のみが取り残された空間。(”きみ”=施主、”ぼく”=設計者)

 

日常の生活の中の存在感がますます肥大化していくサイバースペース。実態社会の世界よりも、サイバースペースのセカイがより実感に近い感覚になっていっているような現象も見受けられます。混在する”世界/セカイ”感が現実を変えていく・・・。

 


■ “新セカイ”時代のメディアはどうなっていくのだろう・・・

インターネットは、建築・デザイン界のメディアヒエラルキーを揺さぶり始めています。高度に発達、進化してきた日本の建築専門メディアでありますが、今世紀初頭、多くの専門誌が休刊(廃刊?)に陥ってしまいました。変わって大衆メディアが建築を取り込み、ファッション化しています。建築家はキャラクター化(安藤忠雄さん)、カリスマ化しており、社会は抜け落ちてしまいました。社会が抜け落ちた建築、つまり建築の終わりが定着しています。

これは、昭和モダニズムの終焉を意味しています。近代の目標がほぼ達成され、社会にコミットするテーマ(大きな物語)がなくなり、個人の感性による評価の方が社会性よりも価値を持つようになったのです。今世紀初頭、”環境”が世界全体のテーマとなりましたが、専門メディアの状況を見ると、建築デザイン、建築計画的な魅力は、個人的センス=ファッション化の方へなびいてしまっています。(過去の一様式となったモダンデザインは、拡散状態の次の時代のサンプリング対象として、延命し続けることになるでしょう。)

わたし学生の頃は、まだ、図面を紙面に載せて議論の対象として大きな意味がありましたが、専門誌でありながら、それを放棄したのは専門誌自身です。カッコイイ、オシャレなデザイン誌化していくこと、それは、自ら建築を終わらせることになっていきました。

同時に、国外では、ウェブ上の建築・デザイン掲載サイト=ウェブマガジンが急速に発達し、世界中のデザイン全般を垂れ流し状態で掲載しています。世界中の個人端末からアクセスできるこのサイトは、日本国内とは無関係に評価されるため、日本社会と全く無関係に世界中へ発表、対話することができます。であるならば、国内のメディアの意味とは何か?強固に地位を確保してきた確固たる地盤が、「ネット時代の専門メディアグローバル化現象」により、液状化してきています・・・。

一方、ソーシャルデザイン、コミュニティデザイン、コミュニケーションデザイン、等、時代の趨勢である、人の繋がりのデザイン=ソフトデザインを主体にする流れが年々大きくなっています。これからの日本のデザインの主流はこの流れなのですが、画像メディアと相性が悪く、建築分野のなかで、まだ立ち位置が定まっていないようです。

“新セカイ”時代、日本の建築メディアはどのように変遷していくのでしょうか?楽しみです。

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