廃虚防止法時代 : 03 – 廃墟保存はあり得るのか? : 01

5月 17th, 2012

■廃墟保存はありえるのか?:01 「廃墟建築士」(三崎亜記さん著)を読んで考えてみました。

「廃墟建築士」のストーリー設定を概観、手掛りをみつける。

・先進六カ国中、”我が国”は”廃墟”においては後進国で、”廃墟”の絶対量を増やす対策中。
・国際的には、”廃墟”の総数と質が、その国の文化的成熟度を決める尺度となっている。
・先進国では、学術的、制度的、文化的に”廃墟理論”が確立されている。
・”廃墟”は「特定都市機能補完建造物ニ関スル法律」いわゆる「廃墟法」により、法的根拠を持つ施設。
・”我が国”では、国土の狭さもあり、住廃近接状態で国民の理解を得られていない。
・用途地域のように、廃墟地区が決められている。
・公的な検査機関が検査し”廃墟認定”を行い”廃墟ランク”を定めている。「第一種廃墟」>「第二種廃墟」>「みなし廃墟」
・「みなし廃墟」は実用されたものが廃墟となったもので純粋性を汚すものでありランクは下。

■”廃墟”を建築する理由

1,本文より
『廃墟とは、人の不完全さを許容し、欠落を充たしてくれる、精神的な面で都市機能を補完する建築物です。都市の成熟とともに、人の心が無意識かつ必然的に求めることになった、『魂の安らぎ』の空間なのです。』

→ 「癒やし機能」:都市機能補完、「魂の安らぎ」を与える役割がある。

2,本文より
『一片の実用性すら必要としない廃墟に、どれだけ空虚で無用な「実用」を備わせることができるのか、それが、その国の文化的成熟度に直結するのである』

→ 「国の文化的威信」:文化的成熟度を上げ、廃墟一流国を目指す。

3,本文より
『廃墟を造るということは、我々すべてが逃れることのできない生命の有限性と、受け継がれてゆく時間の永続性とを、俯瞰した位置から眺める視点を持つことに似ている。いつかは崩れ去るという万物に定められたる道程を宿命とせず、むしろ使命とすることのできる者だけが、このはかなくも偉大なる建築を成し遂げられよう』

→ 「自然の摂理と精神性」:この世の自然の摂理を表現し、生きる意味を問う。

となっています。

■これらを手掛りに、社会一般的には厄介者である”廃墟保存”の基本的な意義を、あえて、私なりに考えてみます。

1,都市の構成要素として多様性をひろげ、都市の魅力を増すものであること。
2,近代的都市計画による開発の限界、転換期をむかえている中で、文明の発展より文化的成熟度を増すものであること。
3,これからの時代をつくる90年代半ば以降に社会にでてきた若者たちに「安らぎ」や「癒し」など都市機能を補完するものであること。

基本的な意義を満たす、さらに細かい条件、理由など考えられますが、次の機会に・・・

■これらは考えてみると、廃墟にかぎらず建築保存の手法についての考察でもあることが分かります。

これから建物がどんどん余ってきます。そういった中で、建物の保存をどうしていくのか、多様な手法があっていいように思います。
その中に、”廃墟的保存手法”が考えられなくはない、のではないでしょうか?
つまり、自然の摂理に任せて自然に風化させていく手法です。例えば、日本では長崎県の”端島=軍艦島”が現在このような状況下にあります。長期間放置されていましたが、世界遺産登録を目指すこともあり、観光対策が施され、自然風化の状況を見学することができるようになりました。

本文中、勤務先の社長は、純粋性にかけるということで「みなし廃墟」をさげすむ廃墟先進国の知見とは別に、「・・・何より、住んでいた人間の気配ってやつをいかにうまく織り込んでいくのかってのが、廃墟屋の腕の見せ所なんだ」と語り、人が使っていたこその意味を独自に見出しています。
”軍艦島”の例を見ても、廃墟の魅力として、人が使っていた痕跡が残っていることが、より魅力を引き立てているのは間違いないでしょう。

”軍艦島”のような「みなし廃墟」を自然の摂理に任せて風化させていく保存形態が、特別な状況下である”軍艦島”以外であり得るのではないでしょか?

 


 
 
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