■ 学生のみなさんの作品評価基準について

Posted by admin - 3月 18th, 2013 ↑ blog top

福岡デザイン専門学校、1年生の自主研究発表会に参加させて頂きました。

毎年、この時期、3年連続で1年生の作品講評会と、1年後の成長した2年生の卒業制作展に参加させていただいております。この2年間の学生たちの成長を見続けている中で、1年生の作品のどこをみて、何を、どのように評価すればよいのかを(この時期だけですが(笑))考えています。じっくり考えてみれば作品評価には様々な視点が考えられ、なかなか評価基準が定まりません。

右肩上がりのまだみんなの目標がはっきりしていたメインカルチャー主体のモダニズムの時代から、低空水平飛行の個人の感性に立脚したサブカルチャー主体のリ・イマジネーションの世界に移行した日本で、私が20年以上前の学生時代に学んだ評価基準で今の学生の作品を評価することに私は違和感を感じ、独自の評価基準を模索しています。果たしてどのような視点で、どこを、どのように評価し、何を作者に伝えればよいのでしょうか?

■評価基準

去年の春からたったの数ヶ月、デザインの勉強を始めたばかりのみなさんが大半を占める1年生。自分のデザインを自ら作品として完成させ、発表会でプレゼンテーションするという大仕事に挑戦しています。

このような学びはじめの状態で、自分の作品を完成させるという課題を評価する場合、卒業制作の評価基準と同じなのはまずいのではないかと思い始め、自分なりに、どのような視点で、どのように評価し、それを学生のみなさんにどう伝えるのか、を考え始めました。学校の専攻は、建築、インテリア、店舗、ディスプレイ、家具、プロダクト、の6分野にわかれ、それぞれ学生たちが自分のやりたいことを自分で選択し、作品をつくります。評価は6分野すべて同じ土俵なので、優劣を決めるのは困難を極めます。(不可能といっても良かもしれません(笑))

■6分野の作品を同じ土俵でどう評価するのか(表評価)
そこで、私は、6分野の作品をなるべく客観的に、同じ土俵に並べるために、次のような評価基準を設定しました。

○評価基準Ⅰ

1,コンセプト
2,物語
3,アイデア
4,デザイン
5,プレゼンボード(A2、1,2枚)
6,発表(プロジェクターを使いプレゼ)

以上6つの要素にわけてみなさんの作品の特徴について考えてみました。6要素の意味としては以下のように考えていてます。

1,「コンセプト」「物語」→ 問題意識をもって「社会や自分と向き合あう」
1年生なので、テクニックというより「気持ち」「姿勢」「態度」
2,「アイデア」「デザイン」→ 作品をつくる「技術」
問題解決手法、デザイン処理、効果、効用
3,「プレゼンボード」「発表」→ 「他人に伝える力」
どこまで自分の思いや考え方を伝えられるか。
(なかなか思ったとおりに伝わらない。)

技術はまだ未熟な1年生にとって、何をするにも最も大切なのは、1の問題意識をもって「社会や自分と向き合あう」ことだと思ってはいますが、評価はあくまでも目の前の作品なので、大切さを伝えるのは難しく、教えるのも難しく、あまりうまくいきません。
次に「技術」。学校のプログラムはこれを中心に構成されてます。学生のみなさんが学校へ来ている目的であり、最も身につけたいことであり、向上していくのが実感としてわかり、学ぶ楽しさもここにあります。デザイン界で仕事をしていくには必ず必要な能力です。ただ、ハードデザインに偏っているので、これからの社会を見据えソフトデザイン部門を増やす必要がありそうです。
「他人に伝える力」はもしかすると、社会で生きていくために、誰しもが(時には「技術」より)最も必要なことかもしれません。すべての学校の教育プログラムでは、ここが抜け落ちているため、多くの人々が(私も)、社会に出てから苦労してしまいます。

これらを見ると、評価基準としては、従来の基準と特に変わらず、異なる6分野を客観視するための一手法でしかない事がわかります。やはり私も、学生時代に学んだことからまだ抜け切れていないようです(笑)

○ちなみに1年生の作品をこれらの6要素で評価した上での注意事項として、下記のように学生たちにはお伝えしています。

1,上記6要素の意図とそれぞれの大切さ。
2,実は、評価の上下ほど、みなさんの能力はたいして違わないこと。
3,一年生時点での作品評価結果のみの意味と無意味さ。
4,経験や技術がないからこそ、にじみ出てくる個性について
5,思い描いた理想と、現実にできた作品にギャップがあればあるほど未来に可能性があり、大きく飛躍する可能性もあること
6,1年後の卒業制作を見据え、挑戦し、失敗することの意義、大切さ、有効性について

■ここで今年の1年生の作品の全体的特徴をみてみましょう

・単なる造形的な形(ハード)だけの作品は少なく、利用する人、利用方法、効果、など、人を中心にしたソフトデザインを意図してハードデザインを考えた作品づくりをしていました。

・数年前爆発的な広がりを見せた環境問題を主題にした作品は、世の中の空気を読みとるように数少なく影を潜め、少子化、草食男子、出会い、コミュニケーションなど、国内の課題である若者たちを取り巻く環境をテーマにしている作品がいくつか見られるようになりました。大きなできごとや世相が、学生たちの作品のテーマにも影響をあたえているようです。

・イベント全体含めたディスプレイデザインなど、公共性や社会性を加味した参加型のソフトデザインを取り入れた意欲的な作品も見られました。

・クラスの仲の良さを象徴するように、ほとんどの学生が平均以上のレベルに達していました。クラスのまとまり、仲の良さ、孤立化する生徒の有無、先導的役割の学生数と質、ゼミの参加人数など、数年間全体を俯瞰してみると、全体の作品レベルに影響がみられます。

○繋がりのデザイン―ソフトデザインへのシフト

上記のような一年生の作品の特徴をみると、先ほどの作品評価基準Ⅰでは曖昧なところが出てきてしまいポイントがつかめていないのがわかります。そこで先ほどの評価基準をハードデザイン的評価とし、これから上げる基準をソフトデザイン的評価としたいとおもいます。

○評価基準Ⅱ

1,企画デザイン → ソフト的発想力
2,コラボデザイン → 組み合わせのおもしろさ
3,イベントデザイン → 参加型デザイン
4,ソーシャルデザイン → 社会性のあるデザイン
5,コミュニティデザイン → 集団や組織のシステムデザイン
6,コミュニケーションデザイン → ヒトとヒトの繋がりのデザイン

・ 実社会での実現性よりも学生ならではの発想の独自性、先進性、おもしろさ
・ 発想に基づく、組織、システム、運営などのデザイン処理技術
・ 人間、社会に対する問題意識、課題設定、解決手法、効果
など、ソフトデザイン的評価を設定してはどうかと考えています。

■そして、作品個別の特徴
1年生の作品は、1年生でしか作ることができない、最初で最後の自分の作品です。技術が未熟なため思いもよらないことが時々起こります。

A:「自分の能力を見極め、最大限と思われる1年生なりの能力をいかんなく発揮した、完成度が高く、センスが感じられる、まとまった作品」
B:「自分の能力以上の課題に挑戦し、時間と労力を最大限かけたが、技術が追いつかずまとまるはずもなく、未完成であったり、破綻してしまった作品」
C:「プロの業界的視点や常識的な大人の視点で見た時に、非常識なところやセンスがズレたところがみられる作品」
D:「体裁を整えるために、後付のコンセプトを無理やりつけて、作品の質と異なることを主張してしまった作品」
E:「密度がやたら高い部分があるかと思えば、稚拙で粗い部分があり、アンバランスさが際立つ作品」
F:「コンセプト、問題意識、姿勢、筋道、必要要素がそろいプレゼもうまいが、肝心のデザインがなっていない作品」
など・・・

来年、卒業制作を控えた、数ヶ月しか勉強していないみなさんを相手に評価する場合、A、B、C・・・を比べた時、Aに高評価を与えるのは自然で、私も実際に高評価をしましたが、B、C、D・・・が評価されないのは、リ・イマジネーション時代の今では、(私にとって)講評として想像力がなく、つまらないですね。みんなが共有する目標があり希望を持って頑張れと、胸をはっていえない今、作品のおもしろさ、魅力、何よりも可能性が、実はB、C、D・・・にあるのではないかと思い始めています。

なぜなら、一年後の卒業制作の作品を見てみますと、みなさん一年生の時から驚くほど成長し、体裁の整った”作品”としてキチンと成立しています。そこには成長を喜ぶのと同時に、バランスがとられ、整合性がとられ、技術をマスターし、表現もできるようになったがゆえの、身の丈にあった、違和感のない、予定調和的な、キチンと整列展示されているだけの作品になってしまったという、寂しさ、みたいなものも感じてしまっています。

もしかすると、1年生が作品をつくる最大の目的は、果敢に挑戦し”失敗”をするためかも知れません。自分の挑戦と追いつけない能力、理想と実際にできた作品のギャップ、作ったものと説明しているコンセプトとの齟齬、余計で異質なものを付け加えてしまった作品。これらのギャップ、齟齬、蛇足等は作品を破綻させ、滑稽にみえますが、まじめにやればやるほど、ギャップが大きければ大きいほど、なにか独特な、特別のエネルギーを発っします。その特別のエネルギーに私の感性は刺激され、いつの間にか想像力をふくらませてしまいます。そこには得体のしれぬ可能性が秘めらているのです。

そこで、評価基準Ⅲ

■評価基準Ⅲ
リ・イマジネーション的評価基準

1,挑戦度
2,ユニーク度
3,飛躍度 齟齬度
4,斬新性
5,シミュラークル度
6,アンバランス度

■まとめ。
「一年生のための自主研究作品の評価三視点」

Ⅰ,ハードデザイン
Ⅱ,ソフトデザイン
Ⅲ,リ・イマジネーション

Ⅰハードデザイン的評価
1,コンセプト
2,物語
3,アイデア
4,デザイン
5,プレゼンボード
6,プレゼンテーション(発表)

Ⅱ、ソフトデザイン的評価
1,企画デザイン → ソフト的発想力
2,コラボデザイン → 組み合わせのおもしろさ
3,イベントデザイン → 参加型デザイン
4、ソーシャルデザイン → 社会性のあるデザイン
5、コミュニティデザイン → 集団や組織のシステムデザイン
6、コミュニケーションデザイン → ヒトとヒトの繋がりのデザイン

Ⅲ、リ・イマジネーション的評価
1,挑戦度
2,ユニーク度
3,飛躍度 齟齬度
4,斬新性
5,シミュラークル度
6,アンバランス度

■作品づくりの目的→作品づくりは自由な社会で生きていく上でのスキルアップにつながる。

自分への挑戦こそが作品づくりの目的である。
これは、社会で生きていく上で、すべての人々が生きる目的として有効である。他人と比べるのではなく、自分が成長できたかどうかが問題となる。
つまり、自由課題の作品づくりは、生きていく上での目的を学ぶ教育システムとして機能する。

1,自分と向き合い、社会と向き合う。
2,自由の世界の中の振る舞い方を知る。自由の中の不自由
3,他人に伝えることの難しさを知る。自分の思ったとおりに他人は理解しない。

自由が与えられることとは、自分とは何かを突きつけられることである。自由課題が目の前に現れたとき、あまりにも広大な自由な世界で何をすべきなのかを見つけるのは、校庭に落とした一円玉を見つけるように不可能といっていいほど困難をきわめる。一円玉を探すより、校庭で友達と遊んでいた方がいいだろう。運が良ければ見つけだすことができるかもしれない。しかし、ほとんどの人が見つからずに時間が過ぎてゆく。それが標準なのだ。
期限が限られた自由課題の作品づくりはその状態を体験することができるまたとない機会となる。本当の自分の作品を見つけることはできずに、他の既存イメージと戯れることによってしか作り上げることができない。それほど自分と向き合うことは難しい。

これからの社会で必要なこと、
1,無数の選択肢で溢れた海原で、不必要なものを捨て必要なものを拾い上げ、優先順位をつけて実行してゆく力。つまり、選択肢候補の峻別と優先順位付けと実行力。つまり、マネジメント能力の習得。
2,”おもしろきことなき世をおもしろく”
仕事は自分で創り出すもの。ゲリラ戦を計画し実行する力。ゲリラ戦術の習得。
3,リスクヘッジ
不確定、不安定、流動化。常にリスクはつきまとうので、リスクに備える環境を整えておく。準備を怠らない。リスクヘッジの習得。
4,コミュニケーション+プレゼンテーション。人とつながる力+人に伝える力
5,自分の確立は不可能であることを知ること。社会の中でしか自分は存在できない。

■最後に
有効な点、無意味なところ、喜んでもらったところ、傷つけたところ、関心を示した人、無関心な人、これを通して様々なやりとりをすることができました。これは、作品の評価でありながら、私に対する評価でもあり、私にとっても多くの刺激を得ることができました。
これまで3年間、一年生の作品を講評し、二年生の卒業制作作品を見ていますが、たかだか一年間でこんなにも成長する生徒がいるのかとそのギャップに驚くことが楽しみの一つになっています。

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