「第9回福岡県景観大会」

5月 8th, 2015

 

■ 今回の「第9回福岡県景観大会」における各賞の表彰式、実は人知れず大変感動しています。なぜなら、審査員のみなさまの”強い意思”が貫かれた結果であるということが、審査員の方々の短いコメントからでも充分に感じとることができた表彰式だったからです。

各賞の審査過程において激論が交わされ、大荒れ、大もめ、作品選考に難航した中で導き出された結果、”新しい意思”を貫き選定したようなのです。(*ただしこれは審査員の方々の殺気あふれる短い言葉の端々から私が推測したもので本当かどうかはわかりません)なぜそう思ったかといえば、そうでなければ私の作品が選ばれるわけがないからです(笑)(選外佳作作品をご覧になれば多くの方々が”そう”感じられるのは分かっております。)

■ 近代のはじめから昭和の終わり頃まで続いている世界を「α世界線」。1990年代中頃より可視化してきた世界を「β世界線」。虎視眈々と覇権を握ろうとしているグローバル化世界が「Γ世界線」。現在3つの世界線が入り混じり、激戦が交わされている・・・

「フラットで多様な価値が混在する底の抜けた世界」になってしまった今、世の中の各分野の「賞」すべてが昭和時代とは異なり、存在そのものが危ぶまれるほど意味が希薄なものになってしまいました。α世界線上に位置する昭和時代、輝かしい価値のあった「賞」ですが、今では、それ以上の価値は認められなくなり、単なる営業ツールの一つとしての意味しかない(時には「もない」)、などと揶揄されるほどになってしまいました。「フラットで多様な価値が混在する底の抜けた世界」=β世界線上に位置する今、はたして「賞」の意味とはなにか!身を持って危機感を感じておられる審査員のみなさまは、この問に正面から真剣に向き合い、”強い意思”をもってその答えを提示なさいました。

「第4回福岡県屋外広告景観賞」の講評において、議論に議論を重ねた結果「スターバックス太宰府店」と「むらた」は賞にならなかった旨の言説がありました。多くを語ってはいただけませんでしたが、言葉から発せられる殺気から、そこには”強い意志”があることが容易にわかります。これは昭和時代=α世界線上の価値基準では考えられないことです。文化はα世界線からβ世界線へ移行したのです。これからの標準となるβ世界線の世界観を未来に向けて作り上げてゆこうという”強い意思”が突き刺さる講評でした。(わたしはメッセージとしてそのように受け取りました。)

はたして、α、β、Γ、それぞれの世界観が入り混じった「フラットで多様な価値が混在する底の抜けた世界」を漂流していくなかで、どのような世界が待っているのでしょうか?そして、これから私達はどのような文化=世界観を作り上げていけばよいのでしょうか?

 

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こちらもご覧ください。

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「DIY精神となにか? : 2014」- 01
昭和モダニズム”後”の世界

 

■ 昭和モダニズム”後”の世界

4月 22nd, 2015

 

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00. 近代デザインプロジェクトの目標がほぼ達成、その後の世界
01. モダンデザインの大衆化とライフスタイルの近代化
02. 過去の一様式となったモダニズム
03. 昭和モダンノスタルジー
04. 国民的社会的昭和的目的喪失社会
05. モダンヒエラルキー山脈崩落
06. 無造作に素材がばらまかれているなだらかな丘陵地
07. ニュータイプ
08. 感性力
09. サードプレイス
10. DIY
11. シミュレーショニズム
12. 自分基準の価値の創出
13. アップデートは可能なのか?

 

● 昭和モダニズム
ニュータイプの皆さんにとって、インターナショナルスタイルも、近代建築の五原則も、昭和モダンも、その否定から拡張・発展させたポストモダンも、ひとつなぎの”昭和”である。建築史が生きていた時代、建築が都市が主の時代、建築も都市も光輝いていた。建築が、都市が、実社会を、そして未来を先導していたモダニズムの精神が生きていた時代だったのだ。ということで、1世紀強の時代をまとめて”昭和モダニズム”とした。

● 建築のポストモダン
モダニズム精神にのっとった、初期理念である先鋭的純粋モダニズムを批判するモダニズム思想。”純粋”なモダニズムを批判的に乗り越え、さらに進歩、発展しようとする考え方。進歩と発展を旨としているということは、つまり、”ポスト”とは初期理念である”先鋭的純粋性”の定義批判の意味が強く、時代のポストではなかった。それは過去の時代を断ち切るために、先鋭的に純粋性をもとめたモダニズム<=インターナショナルスタイル>の定義批判という意味が強く、”ポスト”といえどもモダニズム精神が生き生きと息づいていた昭和モダニズムが延長、連続した時代であった。現に、建築界でポストモダニズム論争が終焉した後(平成)に、本当のポストモダニズム時代(社会)がやってきた。(間際らしいので、モダニズム”後”=アフターモダニズムという言葉を利用がいいのかな?)

 

「音を奏でることを主目的とした作品づくり」つまり「楽器」をつくる

9月 17th, 2014

■ 新しいもの全てが出し尽くされ、無限と思われた欲望が希釈されていく成熟社会において、いかに新鮮味があり、創作感覚を刺激する課題を出すことができるのか?

 

BGMは、鈴木くんに借りた”荒川修作DVD”。 ”養老天命反転地”の訳の分からない説明が続く。最初はDVDということで見る姿勢を示していた学生諸君も数分で誰も見なくなる(笑)

課題は「音を奏でることを主目的とした作品づくり」つまり「楽器」をつくること。きっかけは同士であるサブカル管理人九州代表を通して作品にふれあうことができた”廃材楽器”。単に”廃材”で作品をつくるといった時、すでにあらゆる表現が出尽くされた(と思われる)成熟期をむかえた今の日本では、いくらイメージを膨らませようとしても”予定調和世界”に落ち込んでしまい、苦労の割には何かどこかで見たようなありふれたもの(と感じてしまうもの)しか考えつきません。その底なし沼のような”予定調和世界”から抜け出してくれたのが”廃材楽器”でした。そう、”楽器”という魔法の言葉を一言聞いただけで、思考世界にまったく抜け落ちていた「音を奏でることを主目的とした世界」に入り込むことができたのです。その造形は思いもよらないものばかり。私の中の”予定調和世界”は砕け散り、視野が一気に広がりました。

成熟社会において、新鮮味のある創作感覚を得るにはどうしたらよいのか、それが別世界に飛び込むこと、つまり、「楽器」という魔法をかけることでした。初めて入り込む”楽器”の世界、そこは予定調和が薄れた評価不能の未知の世界、そう、建築専門的評価不能の”養老天命反転地”に入り込んだような世界が広がっていました。

生徒諸君に”楽器”という魔法をかけたときにいったいどんな世界が現れるのか興味津々。

 

■ これらは一体何なのか?

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↑ これは楽器だ。あきらかに楽器。きれいな音が出る程度まで、弦の引張力をどう維持し、調整できるようにするのか?
作者はその点でうまくいかないと語っていた・・・改良だ!

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↑ 輪ゴムは指で弾いても音がなりますね。四角い枠をダンボールで作り、切込みを入れて輪ゴムを取り付けた作品。
造形的配慮がみうけられますね。

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↑ ダンボールに切込みを入れて丸め、輪ゴムを取り付けたもの。ダンボールの切込みを丸めることで音を出やすくしていますね。

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↑ 評価不能作品。”ジオフロントのエヴァたち”(命名わたし)

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↑ ストローを使って作った笛。想像通りの音が出ました。

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↑ ダンボールを、巻いて、ひしゃげて、剥いで、輪ゴムでまいたもの、複数の音をかなでることを意図している。

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↑ ダンボールの中には”粒”が入れてあり、振ると音がでる。円弧状のダンボールのなみなみをこすると音が出ますね。
太鼓としてもいけます。

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↑ 紐をねじって間に棒を差し込んでダンボールの両端でとめたもの。音階がしっかりしており、チューリップの演奏ができました。
今回の作品で唯一曲を演奏できた作品。

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↑ 三部作。丸、四角、三角をモチーフに作られてますね。黄色と緑のテープがはられています。これがはられているだけでイメージが変わりますね。中に”粒”が入れてあり、この色のような音がでます。作者の個性が垣間見れます。

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↑ 意図がひしひしと伝わってきますね。構想通りとはいかず、製作に苦労していました。

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↑ 何かをしたいと、ずうううっと悩んでいたのだが・・・しかし、これも楽器。

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↑ 釘をぶら下げて、手で揺さぶったり、風などの外力で釘同士が当たって音が出る作品。細かいところまでデコレートして自分の世界観を表現していますね。部屋のオブジェとしてもいけそうです。

 

■ 番外編

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「てめーは、この空条承太郎がじきじきにブチのめす」 いいねえ(笑)

2013年度、卒業制作について

5月 6th, 2014

5月に入ってしまい、だいぶ遅くなりましたが、昨年2012年度の作品を見てまとめた「2013.03.18学生のみなさんの作品評価基準について」を元に、2013年度の卒業制作について考えてみたいと思います。
今年の卒業制作は多様性にあふれ、優れた作品が多数ありました。その中でも、時代を表す特徴的な作品がいくつか見られましたので、それらの作品を見ていきたいと思います。

→ コラム:2013年度、卒業制作について

「市民自治」著者:福嶋浩彦さん:ディスカヴァー携書:2014

5月 5th, 2014

福嶋さんは、12年にわたり我孫子市長を務められ、「市民自治」を実践されてきました。この本は、我孫子市で実際に実践されてきたことを元に構成されています。

待機児童問題もそうでしたが、国の対策不足により問題が解決しないのではなく、横浜市や我孫子市のように、首長がやる気になれば、問題は解決できるのです。(問題もあるようですが) つまり、首長と議員の意識、そして、首長と議員を選ぶ市民(有権者)の意識の問題でした。範囲を地方自治全体に広げても、これと同様の構図です。我孫子市の取り組みをみると、やろうとすれば、ここまでできるのか!と、感心させられることばかりです。

全体的に誰もが読める平易な文章で、概念と具体例を挙げ、わかりやすく丁寧に書いてくださっていますので、読んでみてはいかがでしょう?

↓ 詳しくはこちら
「市民自治」 みんなの意思で行政を動かし 自らの手で地域をつくる
<著者:福嶋浩彦さん:ディスカヴァー携書:2014>

↓ nano Library もあります。
https://www.facebook.com/nano.library

↓ Amazon.co.jp

 

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“The Times Transplantation Building / 時代移植” の “内” と “外” の評価について

4月 21st, 2014

 

■ ”内”

転換期をむかえている日本(“内”)では、昭和モダニズムを過去の一様式として認識している若者たち(=ニュータイプ)の出現により、次の時代へと歩みを進めている転換移行期の状態です。しかし、未だ”近代のゴールであるバブル”を基準にした考え方(=近代史観)である昭和モダニズムを引きずる支配者層が実権を握っているため、閉塞感が蔓延しているようにも見受けられます。メインストリート的(本流)文化=昼の文化の世界では・・・(ほんとうはどうなんでしょう?確信は持てていません)

一方、90年代中頃から急速に増殖してきた路地裏文化=夜の文化=インターネット文化は、失われた20年という言葉とは反対に爆発期発展を遂げ、次々と革新的な作品、文化を世に送り出し、世界の追随を許さないトップの座を走り続けています。失われた20年は、日本のある一面、半分の出来事にすぎないようです。

近代以降、モダニズム(民主主義、自由主義、資本主義、など)は社会の大前提である基盤的思想つまりOSとして機能してきました。社会を根底から支えていた輝かしきOSでしたが、転換期を迎えた日本では、その大前提と現実世界とのズレが徐々に大きくなり、そのズレによる問題が多くの分野で顕在化してきてしまっています。一部の方々には認識されていますが、モダニズムを中心にした既存(本流)文化は危機をむかえているのです。たとえば、建築界では”建築の死”という表現で危機(行き詰まり)の状況を説明している方もいらっしゃいます。

昭和モダニズムノスタルジー状態に突入している今の日本。新築が価値の頂点であるリフォーム時代から、”床”あまり時代に突入し戦後60年を経てやっと大衆開放された不動産業界を活用した、個人の感性による価値基準を持っているニュータイプの皆さんが、独自の視点で評価、自分を表現する部屋に住むリノベーション時代へと移行しています。欲望を埋める充填文化から余白に豊かさを見いだす余白文化へと移行しているといってもよいでしょう。

出し尽くされたイメージは、大衆レベルで、サンプリング・カットアップ・リミックスされることによってリ・イマジネーションされ、次々と具現化、リノベーション文化として花開きつつあります。”リノベーション+DIY”現象を見てもわかるように、時代は、ヒエラルキーの頂点であるプロが主役の昭和モダニズムから、大衆が主役のリ・イマジネーション時代へ移行(=フラット化)しているのです。それはまさに”建築の死”へ向かいつつある一現象であるといってもよいかもしれません。

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このような社会状況をふまえ、”The Times Transplantation Building / 時代移植”をどういった意図でデザインしていったのかをまとめてみます。ポイントは次の三点です。

1,大衆文化をメインアイテムとして利用(=サンプリング)し、リ・イマジネーションする。(カットアップ・リミックスする)

2,昭和モダニズム的プロの建築的文脈ではない、ポップ(サブ)カルチャー的文脈によるコンセプト(ストーリー)構築。

3,”プロの技”がさえるほど良い作品であるという大前提的価値をフラット化し、リノベーション文化の根幹的特徴である”素人の技”を意図して取り入れ、表現する。

このように、昭和モダニズムが積み上げてきた文化を、根本的な部分でリ・イマジネーションした作品コンセプトとなっています。
昭和モダニズムの建築概念から次の時代を模索する作品として作ったつもりでしたが、当然ながら、プロには理解されず、一部のリノベーション文化の本質を理解されているみなさんに評価されるだけでした。

 

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■ ”外” 外国(アメリカ)で評価されたのはなぜでしょうか?

直接お聞きしていないのでわかりませんが、想像しながら考察してみましょう。(他分野の方のご意見もお聞きしたいところです。)

1,辺境文化ゆえの割り増し評価。オリエンタリズム、ジャポニズムの影響。

2,医学用語、美術用語、SF的表現によるコンセプト(ストーリー)構築に対する評価

3,クール・ジャパン(新ジャポニズム(?))などの影響

4,ただ単に見たままの、時代様式を並列させた空間の造形的おもしろさ、目新しさ、を評価。

など。想像できる要点は上記の4点です。ほかにもあるかもしれませんね。私が一番知りたいのは、世界の本流文化である欧米人が、日本文化(辺境文化)を本音でどうみているのか?です。

“内”より”外”の方が理解者は多いとは感じていましたが、リノベーション文化が基盤文化である欧米において、当然、同様のコンセプトの作品が既にあると容易に想像できる私の作品が、審査員に高評価されるとは思いませんでした。彼らは果たして何をみて何を評価したのでしょうか?これは大変おもしろい推察、想像ゲームです。
“外”の審査員のみなさんは、何をみて何を評価したのか、みなさんも想像してみてはいかがでしょうか?

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■ 上記デザインのポイント3点についての説明

 

1,大衆文化をメインアイテムとして利用(=サンプリング)し、リ・イマジネーションする。(カットアップ・リミックスする)

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この写真のように、当時、どこででも見られた何の変哲もない、「障子、地袋、天井」=大衆デザインを、メインアイテムとして利用しています。
“移植”とは、カットアップ・リミックスすることといっても良いです。

 

2,ポップ(サブ)カルチャー的文脈によるコンセプト(ストーリー)

“The Times Transplantation Building / 時代移植” コンセプト

取り残された、ある時代の価値喪失空間。
その一部を切開、切除し、そこに異なる”時代”を移植し縫合する。
“血管”ともいえる「給水管・排水管・ガス管」、”神経”ともいえる「電線」、”臓器”ともいえる給湯器等の「住設機器」、傷んだこれらのものを”切除”し、新しい部材を”移植”、ライフラインを更新する。
それは、まるで、”外科手術”のようである。

時代から取り残された1967年空間。
皮膚のように表層を構成する内装の一部を切開し、切除する。
開いた扉から、新鮮な空気が入り込むように、2012年の世界が1967年の世界に入り込み移植される。
それは、まるで、”成形外科手術”のようである。

異なる時代の価値の並列による”デザインリミックス効果”により、価値が喪失したように見えていた1967年空間が、逆転、新しい”物語=価値”が生み出される。
1967年の世界と2012年の世界、異なる時代・デザイン・価値が並列する、”時代様式並列空間”の誕生である。

 

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このような言葉・用語・ストーリーは、建築のコンセプトとして、あまり利用されてきませんでした。
マンガ・アニメ・映画・テレビ文化ではよく見られる表現ですね。

 

3,”プロの技”がさえるほど良い作品であるという大前提的価値をフラット化し、リノベーション文化の根幹的特徴である”素人の技”を意図して取り入れ、表現する。

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ここに見られるディティールは、実は、プロの仕事としてはあまりよろしくありません。
リノベーション文化は、個人の感性に立脚した、”粗削りの素材感”や”単に取り付けただけの納まり”が特徴的な文化です。
DIYとの親和性が高い文化なのです。
“どちらが上”ではなく(=フラット化)、どのレベルの納まりを選ぶのか?という文化的特徴を表現しています。

 

*この文章を英訳してくれるボランティア募集
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↓ 他のコラムも御覧ください

http://www.nano-architects.com/column/

 

リ・イマジネーション時代のまち歩きの意義

12月 15th, 2013

■ リ・イマジネーション時代のまち歩きの意義 - 主観的解釈評価による”まち歩き”が”まちづくり”の基礎となる

数年前からま ち歩きに参加するようになったのですが、建築を見に行くことは多い私も、日常的な町並みのまち歩きとなると、何を見たらよいのかわからず、何のためにして いるのか意義もあまり感じられず、カメラを片手にただ適当にぶらぶら歩いてるだけでした。この時代において、観光地ではない、歴史的建造物や有名建築でも ない、日常的な町並みのまち歩きにどんな意味があるのでしょうか?それを考えてみました。

建物が解体され、まちから消え去ったとき、元々 何が建っていたのか覚えていないことも多々あることからわかるように、私たちにとって、見ているようで見ていない日常的生活圏内の見慣れた景色は、スリガ ラス越しの希薄な背景状態に陥ってしまい、意識から消失しています。このようなありふれたまちを歩き、ありふれた景色のいったい何を見ろというのでしょう か?このような誰しもが思う疑問をいだく中で、この問いにこそ、これからの時代の新しいライフスタイルやまちづくりのヒントが隠れているように思い始めま した。

右肩上がり前提の”希望”と”欲望”の上の豊かさがゴールの昭和モダニズム時代から、人口減少、経済横ばい、物質的欲望飽和、輝く 未来のイメージ枯渇状態のリ・イマジネーション時代に移行した日本において、まち歩きは、日常的生活圏を再認識し、再定義した新しいライフスタイルの確 立、そして”まちづくり”のための基礎を作る大変重要な行為のような気がしてきています。

 

01 ”何もない” から ”これがある”   文化への移行

「私の住んでいる町には何もない」とよくきく言葉ですが、はたして、何をもって”ある/なし”と判断しているのでしょうか?

生 活圏の中に”あるもの”は、住み慣れた生活圏を離れてみて初めて気づくことも多いのですが、その”あるもの”とは、日々の生活に必要な機能面に関わるとこ ろが多いのではないでしょうか。それは、生活圏のなかにおける空間認識が、主に自分に関わる機能的部分で構成されているためでしょう。機能面で自分の日常 生活に関わりの少ないところは、焦点の合うことのないぼやけた景色となり、スルーされるものとなってしまいます。自分にとって関わりがないありふれた生活 圏の景色は、繰り返される日常ルーティーンの中、”ある/なし”という感覚自体が消失し、スリガラス越しのぼやけた残像的背景となり、自分が生活してい る”まち”には何もない状態、つまり、”自分”と”まち”との関係が希薄化した状態に陥ってしまっています。

そこでまち歩きの出番です。複数人の外部の皆さんと地元の皆さんが一緒にカメラを持ってありふれたまちを歩く、この行為に生活圏の景色を大きく変える可能性があるのではないかと思うようになりました。

1,外部の視点:相対的一般評価
2,地元の視点:地元の人しかわからない(表や裏の)物語、
3,多様な視点:視野の拡大
を一度に得ることができるからです。

こ のようなまち歩きの後の発表会で、参加者のみなさんの写真と説明をお聞きすると、自分の視点では気がつかなかった(見ていなかった)ことが実に多いことが わかります。複数人で見ることにより、普段スルーしてきた景色の中に、実は様々なものがあることに気づかされます。毎回思い知らされることなのですが、” まちをみる”という行為は、所詮一人だけでは限度があるということです。(あらゆるものがそうですが。)

多くの皆さんと一緒にまちを歩く ことで、日常生活では焦点の合うことのなかった、スリガラス越しのぼやけた景色の中に、実に多くのものが、地元の物語とともに存在していることがわかりま す。まち歩きをとおして、一人では得ることのできない多様なる視点を得ることができるのです。その視点の獲得とは、何もないところから、これがあったとい う発見、つまり”無”から”有”を生み出す可能性があるように思いはじめています。

まち歩きを通して、”何かあるのではないか”という意 識を持つことにより、日常生活圏の”何もない”ありふれた背景であった”地”から”図”を、”無”から”有”を生み出すことができそうです。もしそれがで きれば、ありふれた日常の景色つまり”まち”への意識、関心、愛着などが増していき、もしかすると日常的生活圏の再認識・再定義につなげることができるか もしれません。さらにそれらを地域に広げることができれば、住民主体のまちづくりに発展させることができるかもしれません。まち歩きをとおした”これがあ る”文化への意識変化=新しいライフスタイルが、地域に根ざしたまちづくりの第一歩となりそうです。

 

02 リ・イマジネーション時代のまちづくりとは、”文化づくり”のことである。

“まちづくり”の目的とは何でしょうか?

震 災後にできた、真新しい建物。被害の大きかった昭和レトロ商店街を再開発したものでした。人並みはもどってこず、真新しさの中に広陵感が漂う再開発ビル。 すでに”希望・未来・欲望”の上の発展前提の昭和モダニズム時代は終わりを告げています。レトロ商店街に息づいていた地域住民と一体化した”商店街文化” が近代文明の象徴”再開発”には引き継がれず、人は以前より遠のいてしまったようです。文化的文脈を無視した暴力的な文明は、時に文化を破壊してしまいま す。人並みが少なくなった理由が再開発ビルであるかどうかはわかりませんが、果たして再開発ビルに新たな文化は根付くのでしょうか?

すで に”新築”に魅力を感じている人は以前より少なくなってきています。”新築”の相対的価値は低下しています。近代社会の目標であった、都市や街、居住空間 をモダン建築やデザインで魅力ある豊かで快適な生活空間に変革していこうという目標はおおむね達成されました。輝かしい未来のイメージを含む新しいアイデ アは出尽くされ、行き詰まり感が蔓延し、閉塞感へとつながってきています。”新築”=新しいハコならば何でも人が集まる時代は既に終わっています。どんな に立派な建物=ハコだろうと中身がなければ”期待感”の裏返しの”残念感”が出てしまいます。それほどまでに日本の大衆文化は高度化し、評価が厳しくなっ ています。

これは社会の主軸が”ハードデザイン”から”ソフトデザイン”へ移行したことを意味しています。”ハコ”=ハードよりも”文 化”=ソフトが優位な時代に移行しているのです。これからは、いかに”文化”=”ソフトデザイン”をつくることができるのかが鍵を握っているようです。

 

03 ”文化”の基礎を作る”感性力”

運動 → 基礎体力
文化 → 基礎感性力

文化を作る力、これからの日本ではこれがもっとも必要性のある重要な能力ではないでしょうか?

数 十年前、昭和モダニズム時代は足りない施設を作っていくことが重要でした。スクラップ・アンド・ビルドが一般常識とされ、ひたすらハコを作り続けた日本で したが、気がつくと”床”が余っていました。現状、床面積だけをみると、日本ではすでに新築物件は必要ない状態になっていたのです。有り余る”床”をどう してゆくのか?大転換期を向かえた中で、”いかに作るか”から”いかに活かすか”への移行が必要となっています。

また、人口増加、経済成 長を見込んで計画されている各施設が、人口減少時代に入り役割を終え、放置される状態になってきています。昭和時代に作られた多くの建築物・構築物が老朽 化してきている現状を考えれば、縮小・減築時代を見据え、”必要な施設をいかに選別し、いかに維持していくのか”、ということが、社会全体の大きな課題に なっています。すでに日本では”縮小・減築時代”という次のフェーズに突入しています。維持できなければ、スラム化、廃墟化、限界集落化、へと進んでいく 可能性が現実性を帯び始めています。すでに具体策を実行に移している地方自治体も多くなってきました。

インフラ的必要不可欠機能施設 を除けば、各施設の利用を促すもの、何かを活用するという行為は、おもに人々の文化的活動により行われることがおおいと思われます。”いかに活かす か”、”いかに維持するのか”、それはつまり”いかに文化を作ることができるのか”ということがいえそうです。もし、持続的な”文化”をつくることができ れば、そこに人々の活動が伴い、その施設が持続的に活かされることにつながっていくことでしょう。

その”文化”を支えるものとは何かを考 えれみると、”運動”を支えるものが基礎体力だとしたら、”文化”を支えるのは”感性力”ではないでしょうか。つまり”文化”をつくっていくには、まず一 人一人に”基礎感性力”がそなわることが必要であると考えるとわかりやすいと思います。これからの”豊かさ”とは、”感性力の豊かさ”のことであるといっ てもよい時代だとおもいませんか?

 

*この商店街の状況をどう判断したら良いのでしょうか?
否定する方も多いですが、肯定的に絶賛をする方もいらっしゃいます。
今、”評価基準”、”価値基準”  が大きく揺らいでいます。

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↑ 映画のセットのようで、とてもすばらしい作品ですね。しかしこれはセットではなく、生きている現実のまちです。特に若者たちはこの唯一無二の価値に気づいています。
「昭和商店街博物館」としても貴重な存在。

 

04、複数の方々が参加し発表する意味  - 多様な視点の獲得

専門家に見方を教えてもらい視野を広げることと、勝手気ままに自由に見ることで視野を広げること、両方重要ではないでしょうか?

一 つの写真(風景)に写っている情報量はものすごい容量があります。この無限にありそうな情報量の中で、私は、そして皆さんは一体何を見ているのでしょう か。それは、自分と関わりのある部分や、たまたま目に付いたものなど、個人の感性によるところが大きいのではないでしょうか。莫大な情報量の中で、何を見 て何を感じるのかは、見る方々によってすべて異なっていて当然です。誘導的ゴール前提の”こうすべき時代”が終わった今、視点は自由化され個人の感性に赴 くままに見る、ということにこそ意義がでてきました。「そんなところを見て、そんな感想をもつなんて」から「そのような視点で、そのような解釈をすると は」という文化の方が楽しくなると思いませんか?

「おもしろき ことなき世を おもしろく すみなしものは こころなりけり」

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↑ 無限にありそうな情報量の中で、私は、そして皆さんは何を見て、どう解釈しますか?

 

05 ”景観評価” から ”解釈評価” へ

上 記のように、”こう見るべき”、”客観的にみてこうだ” だけではなく、”自分の感性ではこうだ”、”私はこう見てこのように解釈した”という個人の感性 に立脚した解釈評価がこれからのまち歩きの楽しさではないでしょうか。複数の方々のご意見は、それぞれ個性的で多くの視点を与えてくれます。多くの方々が 町歩きに参加されて、それぞれの個性的視点と独自の解釈をお聞きすることの意義がそこにあります。

人の感性とはわからないものです。一般 常識も変化していきます。道徳も倫理観も時代表現といってもいいかもしれません。絶対はなく、不安定で、恣意的で流されるもののようです。数十年前に学ん だモダニズムは、過去の一論理の一つになってしまい、有効性を失いつつあります。かつて輝く未来を夢見て最先端の論理であったモダニズムは、いまや、過去 を学ぶことになってしまった(これは言い過ぎですが)ようです。”未来”が”懐かしさ”を彷彿させる理由がここにありそうです。

バラックから始まった戦後の日本は西洋から輸入されたモダニズムを基礎として様々な価値観を築いてきました。景観も欧米的街並みを目標として日本の原点”バラック”を過去の忌まわしき歴史とダブらせて排除してきました。
平 成へ移り21世紀に入ると、バブルを知らない世代が登場してきます。彼らにとってはすでに西洋は特別ではなく、海(=日本)の外という意味での少しあこが れの世界の中の一文化でしかなく、コンプレックスを含んだ特別のあこがれ感はないようです。ガラパゴス化は、輸入文化の価値が低下し、自国の独自文化の方 が価値が高くなってしまったからであると言ってよいのではないでしょうか。今や日本のポップカルチャーは世界の先端を走っています。この文化的素地が備 わった社会では、見かけだけきれいに整えた中身のない景観に嫌悪感を覚える人が出てくるのは当然でしょう。すでに自分の感性力で評価、判断できる文化的素 地がある社会では、モダニズム時代の景観評価の有効性は低下し、以前ほど意味をなさなくなったと言ってよいと思います。

 

*この路地、客観的視点で見て、はたして景観的価値はあるのでしょうか?
自分の感性に従って見ると、どんな価値があるのでしょうか?

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06 地元の人しかわからない表や裏の物語、”背景物語二倍の法則”

あ りふれた写真であっても(表や裏の)物語が付くと意味=価値が出てきます。写真の背景に思い出があれば一気にイメージ世界が浮かび上がってきます。思い出 は書き換え不可能の唯一無二の価値があるからです。写真の意味が写真自体の質ではなく写った内容から喚起される思い出や逸話に大きな意味が出てくるので す。地元の人にとってそれは何よりも価値のある物語に違いありません。ありふれた写真の背景に物語がつくと写真の価値が倍になります。これが”背景物語二 倍の法則”です。笑
この思い出や逸話等の物語は地元の方々しかわからないことです。まち歩きを地元の方々とすると物語が次々と出てきてグットそのまちとの距離感が縮まっていくのがわかります。生活のなかでまちは生きていることを実感する一瞬です。

 

07 主観的解釈評価による”まち歩き”による段階的”まちづくり”イメージ

1.自分の感性に立脚した主観的解釈評価によるまちあるき

2,”ある文化”の広まりによる生活圏の再認識、再定義。
新ライフスタイルの確立

3,住民主体のまちづくり=”文化づくり”

4,道州制へ(?)

 

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その他のコラムもご覧ください。
→ nano Architects : コラム

■ 近代日本の居住空間は、何を目指してきたのか?― 02 (三大水回り編)

10月 11th, 2013

 

■ 画一的・均質的な標準仕様を生み出した近代日本の居住空間は、何を目指してつくられてきたのでしょうか?― 02 (三大水回り編)

今世紀初めに始まった”リノベーション現象”は、戦後60年が過ぎ、やっとやってきた日本の居住空間の”ポップカルチャー化(大衆化)現象”であり、不動産の”大衆解放運動”ではないかと思っています。戦後60年あまり、決して崩れることのなかった超保守的な不動産業界が作り上げた、全国一律の画一的、均質的な居住空間への拒絶反応が、自由に改装ができる中古物件と結びつき”リノベーション現象”として爆発、大衆に広がり始めているのです。

前回は、全国どこででも見られる画一的・均質的な標準仕様で作られた日本の居住空間は、何を克服しようとし、何を目指してつくられてきたのか、全体を概観してみました。今回は水回りにしぼってみてみましょう。

■概要 : 忌→快、湿式→乾式:三大水回り忌避空間の克服
水回りの居住空間化。湿式→乾式工法へ。忌避的空間を技術力により克服し、快適な居住空間化を達成。家の”主人=(家長)”が夫から妻へ。

日本の居住空間の近代化は、忌避空間であった水回り”キッチン”、”トイレ”、”お風呂”を技術力で克服し、快適な居住空間化することであったといっても過言ではありません。
多湿環境の中で、維持管理に大変苦労してきた水回りを、何とか快適な空間にしたいという国民全体の希望が、”湿式工法”から”乾式工法”へ、ひたすら製品、工法の開発を促進してきました。多湿環境の中での水回り空間の快適な空間化が国民全体の悲願であり、建築の近代化の大きな目的・目標でした。そして、それは、80年代中頃から90年代初め頃、ようやく成し遂げられたのです。

■忌避空間であった三大水回り空間の、快適な居住空間化

リノベーションに携わるようになり、昔の建物に出会うことが多くなりました。築30年以上昔の建物を見たとき、現在の暮らしと最もギャップを感じるところは、三つの水回り空間=便所、台所、風呂ではないでしょうか。これらの水回りをみると、もう昔の生活にはもどれないことがはっきりわかります。現在の住宅設備のなんと快適なことでしょう。昭和時代をさかのぼり、いつ頃このような快適な水回り空間が一般化したのかを調べてみました。簡単にこれらの歴史を振り返ってみましょう。

○近代以前
日本では長い間、自給自足、地産地消、リサイクルが基本の生活が営まれていました。日常生活は、身近な環境にあるものを利用するしかなかったのです。当然ながら建築も、木・紙・藁・竹・土などの身近な環境に存在する自然素材で作られていました。
高温多湿な日本において、このような、腐りやすく、燃えやすい、木・紙・藁・竹・土などでできている建物を、”雨や湿気”、そして、”火”からどのように守るのかが永遠の課題でした。これら、建物を土台から傷める”水”、そして多くの人命を奪う火事を引き起こす”火”を扱う部分は、誰しもが特別な注意を必要とする場所として認識させなければならない空間、つまり、忌避空間とされました。

基本的に、建物を傷める”水”そして”火”を扱う風呂、台所、便所の三つの水回り部分は、母屋とは切り離され別棟としたり、北側の土間としたり、裏方の隅に配置する暮らし方が普通でした。つまり、三つの水回りは居住空間ではなかったのです。このような状態だったのですから、家庭を支える主婦=女性の仕事がいかに重労働だったのかが想像できますね。

○近代以後
近代に入り、鉄、ガラス、コンクリート、という近代建築三大素材が現れました。これにより、不燃化、耐震化、高層化を実現し、高密度都市住宅を可能にしましたが、防水・結露防止等湿気対策とあわせ三大水回りが簡単に快適空間となったわけではありません。そこには建築に関わる多くの人々の絶え間なき努力による技術・工法・製品開発がありました。日本では、近代建築であっても、建物全体に関わる”雨”と”湿気”、そして、生活に関わる”水”にどのように対応してゆくのかが(今でも)課題でありつづけています。その永きにわたる格闘の末の三大水回り空間の快適化だったのです。
(“雨”と”湿気”に関してはまだまだ格闘が続いていきます。)

それは女性のためだったといってもよいでしょう。重労働にしいられていた女性たちにとって、快適化された水回り空間で、家族に囲まれ、楽しく、効率的に家事をこなす、スタイリッシュな生活が”夢のライフスタイル”でした。誰しもが望んだこの”夢”の実現のため、近代建築は、(家電などと同様に)新素材を活用した新製品・新工法の開発に邁進していきました。その結果、快適な居住空間化することに成功し、”夢のライフスタイル”を実現したのです。それでは、個別に過程を見ていきましょう。

○三つの水回り空間の変遷 Ⅰ.トイレ、Ⅱ.キッチン、Ⅲ.お風呂

Ⅰ.トイレ
1956年(S31)日本住宅公団が洋式便器を採用します。1964年(S39)東京オリンピックを期に徐々に広がり、洋式便器が和式便器を上回るのは、1977年(S52)のことになります。1980年(S55)には温水洗浄便座が発売、1993年(H05)タンクレストイレが発売されました。

簡単に振り返ると、70年代に洋式化、80年代に快適化、90年代にインテリア化(=デザイン化)が成し遂げられたといえそうです。トイレが快適な居住空間化されたのは、狭苦しい半畳広さのトイレがなくなり、温水洗浄便座が普及、デザインにまで意識されるようになった80年代頃からでしょう。

Ⅱ.キッチン
近代建築としてのキッチン設備も、大変な苦労の上に様々な問題を克服していっています。洋式便器と同様、1956年(S31)日本住宅公団がステンレスキッチンを採用。2年後の1958年(S33)公団住宅用換気扇が採用されます。それまでは、キッチンコンロ部分に換気扇がなく、窓を開けて排気していました。1973年(S48)システムキッチンが発売、次の年にレンジフードファンができます。しかし、シロッコファンの深型レンジフードが完成するのは10年後の1983年(S58)まで待たなければなりませんでした。ここでやっと、キッチンコンロの排気ダクト化が実現し、アイランド型など、キッチンの位置を比較的自由にレイアウトできるようになったのです。

簡単に振り返ると、50年代後半から、人大研ぎ出しシンクから夢のようなステンレスキッチンへ、換気扇の採用、70年代にシステムキッチン化、80年代にシロッコファンの深型レンジフード化、といえそうです。キッチンが快適な居住空間化されたのは、システムキッチン+シロッコファンのセットが揃った80年代頃からでしょう。

Ⅲ.お風呂
お風呂は防水問題が常につきまといます。近代建築として、都市型集合住宅が成立するには、どうしても防水問題を克服しなければなりません。信頼性の高い防水と現場組立ができる乾式工法が両立した工業製品であるユニットバスがどうしても必要でした。
1964年(S39)東京オリンピックの開催に合わせ、ホテルニューオータニに世界初のユニットバスが納入されました。しかし、まだ一般の住宅では、木の浴槽からFRPやステンレスの浴槽に変わった程度でした。1966年(S41)に集合住宅用ユニットバスが発売され、約10年後の1977年(S52) 戸建用ユニットバスが発売されます。70年代後半の賃貸マンションを見てみると、多くのマンションが、まだタイル+ポリ浴槽+バランス釜という組み合わせです。一般的な居住空間がユニットバス化していくのは、80年代中頃から90年代初め頃でしょうか。

簡単に振り返ると、60年代ユニットバス化の始まり、木の浴槽から新素材の浴槽へ、80~90年代にやっとユニットバスが一般化し、快適な居住空間化されたといえそうです。今では、木造住宅の2階であってもユニットバスであれば特に問題はなく設置できる時代になりました。

■ トイレ、キッチンと近代化が成し遂げられ、最後にお風呂が乾式化=ユニット化された時点で、三大水回り忌避空間は”快適な居住空間”へと変貌し、近代建築の目標の一つが達成されました。
基本的な機能を確立した三大水回り空間は、その後、生活をささえる裏方機能から、徐々に住空間の主役となっていきます。”主婦=女性=消費者”は家族の中心そして”家”の主役になっていったのです。そして、”主婦=女性”にとって、家事からの解放、つまり”家”からの解放が、(女性たちが望んだ)近代社会の目標、悲願でもありました。

水回り空間の居住空間化が成し遂げられた後、水回り空間のデザイン化(プロダクト化・インテリア化)が始まりました。今や、水回り住宅設備機器は記号化されるようにもなっています。例えば、見ただけでは用途が不明な空間に、オブジェのようなタンクレストイレが置かれた瞬間、この空間は”トイレ”である事が認識されます。このように、この空間が何か?を表す記号的役割を示すようになりました。それほどまでに、デザイン性が向上しています。

近代建築は、忌避されていた三つの水回り空間を技術力で制圧、快適な居住空間化するという悲願を達成しました。それは、裏方で重労働に強いられてきた女性の”家”の中の主役化、家事からの解放と社会進出、女性の社会的地位向上につながったのです。

現在、人口構成の変化により、子育てと介護が社会問題化しています。水回りは技術力で制圧できましたが、子育てと介護問題の解決は、技術力の問題もありますが、人が作る社会システムの問題のほうがより大きいですね。住空間では新たな課題が出てきています。

 

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→ ■ 近代日本の居住空間は、何を目指してきたのか?- 01 (概観)

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