なぜ彼らはこのような映画をつくりあげたのか・・・驚愕のモノクロ映画、三本

Posted by admin - 9月 8th, 2013 ↑ blog top

02年前・2011年 : “ニーチェの馬” : タル・ベーラ : ハンガリー

53年前・1960年 : “裸の島” : 新藤兼人 : 日本

88年前・1925年: “戦艦ポチョムキン” : セルゲイ・エイゼンシュテイン : ソビエト

心配になるほど長・・・い ワンカット。こんな長回し映画がありえるのかというような”ニーチェの馬”。
それに対して、短い細切れのカットをリズミカルにつないでゆく”裸の島”。
対極にある表現手法でつくられた二本のモノクロ映画。

共通点は、言葉(セリフ)が異常に少ない。”ニーチェの馬”は中盤から後半にかけて、効果的に印象的な言葉があるのだが、”裸の島”は、全くなかった!背景には過酷な自然を表現する曲が環境音楽のように連続して響いているだけ。

次の共通点は、かこくな自然と家族。”ニーチェの馬”は、いつ止むとも知れぬ激しい風が吹き荒れる石造りの母屋に暮らす貧しい親子。”裸の島”は、瀬戸内海の電気・ガス・水道がない周囲約500メートルの小島(広島県三原市にある宿彌島(すくねじま))の高台、木造の掘っ立て小屋に住む貧しい家族4人(夫婦と男の子2人)。乾いた土の畑に隣島より桶に入れて櫓漕ぎ舟で運んだ水を、島の急斜面を天秤棒を担いで運び上げるという過酷な自然の中で暮らしているのだ。

しかし、描いている自然の意味、家族像は表現同様対極的。タル・ベーラ監督は終末的黙示録を描いているが、新藤兼人監督は過酷な自然の中、貧しいながらもひたむきに生きる家族の姿を愛情を持って描いている。

そして、この対極にある表現と意味、共通点ももった二本の映画の源流、それが ”戦艦ポチョムキン”。88年前に作られたとは思えないモンタージュ手法を確立したサイレント映画。

これを源流に、53年前につくられた”裸の島”。2年前につくられた”ニーチェの馬”。この三本のモノクロ映画は、年代、手法、目的は違えども、余計な装飾を削り去ったむき出しの表現により、自然とはなにか、人(生きる)とはなにか、社会とは何か、を突きつける映画だった。

“ニーチェの馬”:2011年・第61回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員特別賞)
“裸の島”:1961年・モスクワ国際映画祭グランプリ
“戦艦ポチョムキン”

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