近代以降の日本の大衆居住空間は、何を目指してきたのか?

7月 6th, 2012

■ もうこれ以上耐えられない、画一的・均質的な近代日本の居住空間は、何を目指してつくられてきたのか?(ラフスケッチ)

今世紀初めに始まった”リノベーション現象”は、戦後約60年が過ぎ、やっとやってきた日本の居住空間の”ポップカルチャー化現象”ではないかと思っています。時代遅れの超保守的な業界が作り上げた、画一的、均質的な居住空間に、”もうこれ以上耐えられない”といった拒絶反応が、”リノベーション現象”の一つの原因となっているのではないでしょか。
そこで、まず、もうこれ以上耐えられない画一的・均質的な居住空間は、何を目指してつくられてきたのかを考えてみました。

○ 近代以前の住空間の何を克服しようとしてきたのか?

封建的家族形態の克服 ライフスタイル 和式 洋式   男女平等
水回りの克服 工法 湿式 乾式   不浄的空間から快適空間
自然素材の経年劣化克服 材料 自然素材 ラッピング・コーティング・化学処理  キッチュ
火災の克服 防火 可燃性 不燃化  都市災害の低減
職人不足の克服 施工性 組立   職人確保、工法マニュアル化

 

そのほか、次のような変化がありました。

畳 → フローリング
座卓+座布団 → テーブル+イス
布団 → ベッド
タイル → ユニットバス
換気扇 → シロッコファン
新壁 → 大壁
漆喰・土壁 → ビニールクロス
本物 → プリント

 

○ ライフスタイル
近代日本の大衆居住空間は、60年~70年かけて、モダニズムが提示した自由・平等・合理化などの考え方もとにしたライフスタイルの西洋化という頂点をめざしつつも、変わることのない日本的部分を残しながら、日本独自の居住空間をつくりあげたようです。
封建的な家族形態から友達のような親子関係の家族へ、座卓に内在する上下関係をなくし、テーブル+イスのアクティブ空間へ、水回りの快適空間化と家事の低減など、都市の住宅不足解消、核家族化、持ち家政策など社会政策や社会の変化のなかでライフスタイルが確立してきました。

○ 水回り
近代日本の居住空間が克服すべき(不浄的)空間が、水回り、”キッチン”、”トイレ”、”お風呂” でした。
多湿環境の中で、維持管理に大変苦労してきた水回りを、何とか快適な空間にしたいという希望が、”湿式工法”から”乾式工法”へ、ひたすら製品、工法の開発を促進していきました。多湿環境の中での水回り空間の快適空間化が国民全体の悲願であり、建築の近代化の大きな目的・目標でした。

○ 建築材料
木、紙、土という多湿に対応した、主に地産素材でできていた建築に、近代の三大素材、”鉄”、”ガラス”、”コンクリート”が参入、新たな居住空間を形成し始めます。急激な都市化とともに、火災延焼防止のために建築の不燃化が最優先政策として推し進められました。
また、経年変化・劣化してゆく自然素材に対し、変形・劣化が少なく、維持管理が簡単、施工性がよく、大量生産できる工業製品が、化学力の発展で実現し、良い材料として認識され、仕上げ材の主役になりました。対して、自然素材が悪い材料という認識になってしまいました。たぶん、近代の合理的な視点に立てば、このような工業製品が良い材料となるのでしょうね。

 

○ 近代日本の大衆居住空間はどのような材料で構成されてきたのか?

地産地消を基本に使用してきた日本建築の素材である、木や藁、紙、土などは、都市化が急激に進む中で、メンテナンスフリー、不燃化、施工性、にすぐれた工業製品に取って代わっていきます。一見、本物のような素材や、ひと目で工業製品とわかる素材など、様々な仕上げ素材がでてきましたが、全体の方向性を見ると、共通の機能・目的である、施工性がよく、安価、メンテが簡単、劣化しない、変形しないという素材で囲われた均質的な空間仕様が完成し、結果、大衆居住空間は、(特に投資目的の賃貸物件は)全国どこへ行っても同じような空間になってしまいました。普通のアパート・マンションも、億ションも基本的な内装仕上げの項目を比較すれば、同じ仕上げが使われています。

 

バブル後、目標であった西洋合理的ライフスタイルがまやかしであることが、新しい世代により無言の提示、この世代が”リノベーション現象”を起こし、新しいとか古いとか関係なく、自分の感性に合うものに価値を与えることにより、近代以降の日本の本当のライフスタイルは何か?を模索し始めたのだと思っています。
これは居住空間ばかりではなく、エネルギー政策、雇用形態、ワークライフバランス、社会補償制度もふくめた、ガラパゴス化した日本のポップカルチャー(大衆文化)主体のポストモダン的ライフスタイル全体の模索=挑戦であるといってよいのではないでしょうか?

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リノベーションとは、生活環境のサードプレイス化である。(?)

6月 21st, 2012

■ 近代建築が目指したライフスタイル

近代建築的(モダニズム的)集合住宅が本格的に建ち始めたのは関東大震災の復興を目的につくられた”同潤会アパート”でした。これは、アジアの盟主たる日本にふさわしい耐震・不燃化した都市型集合住宅を建設し、生活を西洋化させ、欧米に遅れをとった日本の近代化を成し遂げることが目的でした。
しかし、現実は、外観はRCの近代建築でしたが、室内は畳敷き・フスマ・障子・押入れ・欄間・地袋などの和風な内装でした。戦後、DKが発明され、家事空間の改善と食寝分離を基本理念に、日本型の近代都市型居住空間が発展していきます。賃貸集合住宅では近代的外観に畳敷きの内装という時期が長く続いていましたので、畳の上に絨毯をひいたり、ロール状のフローリングを敷いたりして、生活の西洋化を入居者が独自に行なっていました。引越しの時、テーブルの足の跡が畳にクッキリと4ヶ所残っているのが印象的で、いまだに覚えています。
本格的に賃貸集合住宅が畳からフローリングに切り替わるのは、80年代以降からでしょうか(?)経済発展をした日本に自信を持った若者を中心に、前近代的な畳敷和風デザインの部屋が嫌われ、押入れ・フスマ/障子もなくなり、ビニールクロス・ポリ合板のドア・クッションフロアー+ユニットバスというシンプルな(実は安価で安普請な)内装に変わっていきます。学生時代一番人気は、なんといっても”新築+フローリング”という状況だったのを思い出します。現在は基本的にこの流れの延長上にいるのですが、今世紀初頭、別の流れが出てきました。それが”リノベーション現象”です。

■ リノベーション現象とは、ポップカルチャー化現象である。

「自分の着たい服を着るように、”自分の住みたいデザインに住む” 時代」

リノベーション現象とは、借りものの=洋風化・欧米化を目指した近代化=モダニズムを卒業し、現在の日本人にとって本当に住みたい住環境デザインを取り戻すための大衆化運動のような気がします。
現在の日本は世界の中で最もポップカルチャーが進化し、他国の追随を許さずガラパゴス化しています。この、ポップカルチャーにあらゆる分野がのみ込まれている中、同潤会アパートから1世紀弱過ぎて、やっと、遅まきながら賃貸集合住宅も”リノベーション”というポップカルチャー化現象にのみ込まれ始めたのです。
都市の住居(=箱モノ)不足は床面積だけを見れば供給過剰になり目的は達成、その上、人口減少、少子化、低成長時代という状況で、貸し手優位から借り手優位に転換するという状況です。一方、衣服→アクセサリー→小物・雑貨→イス→家具→と拡大してきた感性領域がインテリアまで到達、インテリも個人を基準とした感性領域となりました。こういった状況もあり、”リノベーション”は瞬く間に広がっていきました。表面だけを新しくする、見た目だけが問題な今までの”りフォーム”とは根本的に違います。
広がっていくリノベーション空間を見ると、モダニズムが課題としてきた諸問題がまるで無かったかのような自由なデザインが蔓延しています。自分が着たい服を着るように、自分の住みたいデザインの部屋をつくる時代がきたのです。(インテリアのファッション化)

 
 
■ リノベーションとは、生活環境のサードプレイス化である(?)

グローバル化の中で本物の資本主義がきているようで、日本全体が経済低成長の中で苦しんでいるように見えます。(私はバブル時代を知っているのでそう見えるだけのような気もしますが・・・)いまだモダニズム理論で形作られている社会と、激しい変化をしている現状=フラット化してゆくポップカルチャー社会に、激しいギャップが生じ、仕事環境、家庭環境ともに不安定化しています。安定した自分を長期的に維持するために、生活環境の”サードプレイス化”が進んでいるのではないでしょうか?
住空間のリノベーション、仕事空間のリノベーションのデザインをよく見てみると、モダニズムデザインが依然主流としてありますが、他方、おもしろいのはポップカルチャーデザイン(サブカルも含め)のインテリアではないでしょうか?これは、モダンデザインを根底に、和風とか、洋風とか、アジア風などの”風”的デザインテイストを取りつつも、独自の感性でデザインしていることがよくわかります。それは、借り物の感性ではなく、自分の中から湧き出てくる感性でできています。ちょっと変に見えるところも味となり独特な空間となっています。
これらの現象を見ると、生活環境自体をポップカルチャー(サブカルチャー)でまとい、空間自体に戯れられうような空間、つまり、”戯れ空間”をつくるのが目的のように見えます。住居も職場も(その他の空間も)自分の居心地の良い空間=”戯れ空間”で埋めてしまいたいのが、現在の若者たちの希望ではないでしょうか?
近代=モダニズムは、機能を分類し、それぞれの役割を与える論理でした。住空間、仕事場、遊び場、商空間、リラックス空間など、機能と空間がはっきり定義・分類され、都市の中に配置されてきました。しかし、これも進化したポップカルチャーが浸蝕、各機能・空間は融合してきています。自宅で仕事したり、オフィスをリビング的にしたり、居住空間、仕事空間、商業空間いずれにかかわらずカフェスタイルをとりいれたり・・・よく見かけるようになりました。
社会の不安定化の中の必要性としてのサードプレイス。自分の戯れ空間としてのサードプレイス。そして、発展系として、新社会保障・コミュニティなどとしてのサードプレイス等、有り余る「建物=箱モノ+リノベーション」により、社会はサードプレイス化していくのではないでしょうか?


 
 
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”家庭と仕事”の不安定化を補完する、個人的長期安定化空間”サードプレイス”必要時代(?)

6月 14th, 2012

■ 現在、時代の大転換期、新しい時代のライフスタイルを模索、研究、実施している産みの苦しみが、みんなの目的・目標・希望にすることができない時代のようです。

1,”初期条件”の変化
・ソフトインフラ=社会保障制度の腐食化
・「ハード=箱モノ」から「ソフト=人・社会」へ転換移行期
・人口構成の転換
・資本主義、消費社会の行き詰まり・不透明感
・エネルギー政策の転換
・経済成長不透明
・標準モデルの不成立

2, ”意味”の変化

”仕事”
”働く意味”への不満 → 労働の対価がお金で満たされなくなり、”意味”の重要度が増加してしまった。
いざ、意味を考え始めると、成熟社会の多様化、流動的、過情報のなかで、思った以上に目的化・目標化が困難、すっきりとした意味を定義するのは困難をきわめる。

”家庭”
標準世帯モデルは成り立たず、多様な家族形態が混在することが標準。
旧初期条件で設計された旧OSである脆弱化した社会保障制度が、”家庭”を不安定化、脆弱化。

■  個人単位で長期的安定化した目的化・目標化・希望化した空間(=例えばサードプレイス)を、実態空間であれネット空間であれ持つことができれば、家庭、仕事で意図しない突発的な変化にも社会保障補完的な役割を担えるのでは?

 

 
 
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日本は近い将来”サードプレイス”を中心とした社会になるのか?

6月 6th, 2012

現在、社会の転換期をむかえているようです。ソフトインフラ=旧OSが機能しなくなり、新OSへと書き換えをしなくてはいけないのですが、以前のような富の分配ではなく、負担の分配をしなくてはいけないのでなかなか進みません。
若者達が思い描いている豊かであろうライフスタイルを想像し、それを元に、どのような社会になっていくのかをラフスケッチしてみました。

■ ワーク・ライフ・バランス (会社中心社会は終わり生活中心社会になってきているようです。)
今も昔も若者達が憧れるのは、自分の居心地のよい空間で、時間を忘れて自分が好きなことと戯れて生活することです。物質的、金銭的豊かさの実現後、時代の変換期をむかえている今の日本で、豊かさを示す基準の一つは、「この”戯れ空間”を、どれだけの”時間”手に入れることができているのか」ではないでしょうか?
文化の大衆化は進み、今や日本のポップカルチャー(サブカルチャーも含め)は世界の最先端を突っ走り、他国の追随をゆるさず、ついにガラパゴス化してしまいました。おたく的サブカルチャーもしだいに認知され、誰もがなにかしらの”おたく”(”おたく”という言葉がどうかは別にして)になることが生活の充実度につながっていくような雰囲気になっています。(例・韓流、山ガール・・・など)
若者達と話していると、仕事でも、趣味でも、おたくでも、他人の目を気にせず、損得なしで没頭できることを持っている人を、想像以上にうらやましく感じている人が多いように感じます。生活中心社会をむかえている中で、生活と仕事ともう一つの空間、自分と戯れることのできる空間=”サードプレイス”の質を重要視する社会となっていくのではないでしょうか?

■ 3つの自分を持つ時代。自分を保持できる場所。自分が自分で居れる場所。
自分とはなにか?不安定で流動的、価値のヒエラルキーがないフラット化した自由な社会で自分を保持するのは大変です。家庭と仕事はどちらも絶対安定的なものとはいえなくなってしまいました。自分が自分で居れる場所が求められているように感じます。

Ⅰ:生活:”自分A”
人口は減少、子供は減り、高齢者が増加、一世帯の人数は半分が2人以下となりました。核家族4人の標準モデルはあまり機能しなくなり、これから先は多様な家族形態が混在することが標準になるようです。今や家庭も安定したものとはいえなくなってきたようです。

Ⅱ:仕事:”自分B”
本物の資本主義がやってきたようで、会社の将来は予測できず、仕事は不安定、職場は流動的、定期昇給的収入アップは期待できない状態。仕事環境は不安定極まりない状態です。

Ⅲ:サードプレイス:”自分C”
このような中で、長期間にわたり普遍的安定性のある、過去と現在と未来を通して自分を見つめることのできる空間、つまり、”サードプレイス”が必要な社会になってきたように感じます。

■ 新コミュニティ。新社会保障。新経済主体。
サードプレイスは不安定化している家庭、職場、企業と家庭共同体に代わる、ソフトインフラとして機能する場となりうる可能性もあるのではないでしょうか?

■ ”サードプレイス”の機能イメージまとめ
リスクヘッジ → 家庭や仕事が意図せず激変したとしても居る場所がある
長期・安定的自分保持 → 長期的・安定的に自分が自分で居られる場所=戯れ空間
経済主体 → ”収益確保”の場所ともなりうる可能性
地域コミュニティの中心 → 時には”地域貢献”する場
相互補助的役割 → 他人同士でも役割を分担=”シェア”し相互補助しながら生活を守る
距離 → 距離無関係のネット空間、距離が関係する実態空間、それぞれの役割がある

 
 
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