■福岡ビンテージビルカレッジ/第4回 「京都のビンテージが生みだす都市再生」 ― ご報告と私の感想

4月 15th, 2013

福岡ビンテージビルカレッジ
第4回 「京都のビンテージが生みだす都市再生」 ― ご報告と私の感想

タイトル : 「都市居住推進研究会のチャレンジ!」
~京都の不動産事業者・建築士・研究者・行政関係者がタッグを組んで、住まい・まちづくりの難題に取り組んでいます~
講師 : 大島祥子氏(都市居住推進研究会 事務局/スーク創生事務所 代表)

■ はじめに

今回講師としてご講演いただきました大島さんは、ご自分を”雑食系コーディネーター”と表現されていました。
グローバル化という偏西風が常に吹きあれるようになってしまった世界で、日々の微風、強風に舵を取り、時々訪れる台風におびえ、低空飛行をなんとか維持する状態の日本。ソフトデザイン優位のストック時代に突入し、先が見えない不安定で流動化する社会。このような社会で有効な戦術とは”正規軍の戦い方”ではなく”ゲリラ戦”である、といわれるようになりました。今回のご講演は、まさに、雑食系コーディネーターがしかける緻密な計画に基づいた、多分野の能力者によるゲリラ戦術が世の中を変革していっている!といった印象をうける刺激的な内容のお話となりました。

1時間という限られた時間の中で、多岐多数にわたるプロジェクトをご紹介くださりました。どのプロジェクトも、それぞれじっくり時間をかけてお聞きしたい意義深い内容でしたが、時間の関係上、概要の説明のみのプロジェクトも多々ありました。内容を把握し理解するといったことは私の許容範囲を大きく超えており無理なのがすぐわかりましたので、スポット的に飛び出してきた、キーワードやプロジェクターの要約やまとめなど、なんとか書き留めることができたものを手がかりに、勉強させていただいたこと、想像をふくらませ考えたこと、などについて書かせていただきます。

■ ご講演内容を自分なりに次のように整理させていただきました。

千数百年以上の歴史のある、世界でも有数なビンテージ都市「京都」における、雑食系コーディネーターが要となった最強チーム体制による超実践的まちづくり戦術と、現時点までの実績・変革内容について。

1,ものづくりの主役(要)は誰か?
2,有効な戦術は何か?
3,何を変える=リノベーションするのか?
・3-1,「法」
・3-2,「住文化」
・3-3,「夢」

● 1,ものづくりの主役(要)は誰か? 大転換期、要となる主役は入れ代わった

・ 架橋型社会関係資本家 →  スーク アラビア語で”市場”

大島さんの事務所名称”スーク”とは、アラビア語で”市場”という意味とのことです。お話をお伺いしていくに従い、大島さんは、”スーク=市場”という名にふさわしい、社会関係資本家であることがわかってきました。

企業と住民の間に入り、板ばさみの中で活路を見いだしたり、専門分野にこもりがちな敬遠気味の業界内異業種に橋を架けたり、自然には交わることのない、研究機関、民間企業、行政機関、地域住民などの実質的責任者をつなげ、まとめることができる希有な存在の大島さんこそ、架橋型社会関係資本家そのものであるのではないかと思いました。組織・システムをつくるには、必ず必要な能力者であるといってまちがいありません。

既に、一人のカリスマ性のある人物による全体計画提示のトップダウン的なハード優位社会は終わったようです。これからは、住民を巻き込んだ専門家チーム体制によるソフトデザインの提示、実践が標準化していく時代であり、それらを束ねる”要”となるのが”コーディネーター”であり、このコーディネーターにこそ大島さんのようなカリスマ性が必要であることを認識させられました。

ストック時代は、”コンクリートから人へ”という言葉が示すように、ハードデザイン優位社会からソフトデザイン優位社会への転換を示していると思います。街に対して仕事をしていくには、実質的な責任を持っている産・学・官・民などの各担当者と各分野の専門家の協力が必要となってきます。これらをつなぎ、まとめ、実践している”コーディネーター”の大島さんは、これからの日本でもっとも必要な財産=資本となる”人材のネットワーク”を数多くお持ちである社会関係資本家です。街に関わる(たぶんあらゆる分野の)ソフトデザインを実践するには、実力ある架橋型社会関係資本家の能力が成否の鍵を握っているようです。

● 2,有効な戦術は何か?  「コラボレーション戦術」「ゲリラ戦術」

・ 最強のチーム体制の構築 → 「都市住居推進研究会」= 「都住研」
・ 社会のソフトインフラ=OSを変革し、時代の道筋をつける新システムを構築するための「コラボレーション戦術」

京都は、長きにわたる日本の首都として、有形無形かかわらず無数のストックが蓄積し続けている、世界でも有数な歴史・文化都市です。近代以降も日本を代表する大企業も多数あり、大学など教育機関に通う学生数も多く、今を生きる都市でもあります。
時代の変わり目に新しいシステム=新OSを幾度も作り上げ、無数のストックが混在している”京都”に、近代日本のソフトインフラ=OSともいえる”法律”をリノベーションしてしまうという超実行力をお持ちの最強チームが存在していました。それが「都市居住推進研究会」=「都住研」だったのです。

最強チーム「都住研」の特徴

1,「研究者(都住研)+事業者+行政」の距離が近くフラットな関係を実現。
2,「宅建業者+研究者+建築士」という希有なコラボレーションチーム体制の実現。

このような理想を目標に活動しているのではなく、すでに実現し、成果を上げている都住研は、理想的な最強のチーム体制による、超実践システムでした。これは、まねしようと思ってもまねできないチーム体制、システムです。京都DNAを引き継いでいるこの最強チームが次々と先進的な試みを実践していました。すごい!

このような超実践能力を持ったコラボレーションチーム体制をつくり、機能させ、維持していくための要素。

・ 自社の利益を超越しても取り組みたい社会的意義のある高い目的
・ 各方面の実質的責任者・組織を取り込んだ即実践可能なシステム
・ 一社ではできないが数社集まれば実現可能なネットワーク
・ 組織内を活性化させる競争原理の導入
など

未来を見据えた社会的意義のある高い目的を設定したアプリケーションソフトともいえる汎用的実践システム”モデルプロジェクト”を実行することに加え、基本ソフト=OSともいえる”法”をも変更させる強大な力をお持ちでした。

● 3,何を変えるのか? 「法」「住文化」「夢」

3-1,「法」のリノベーション 都住研「第一次~第三次提言」

・ 昭和モダニズム時代からストック時代に対応した”法の精神”へリノベーション
・ “既存不適格的排除の論理”を排除するとき

○ 既存不適格という概念
“建築基準法”は、近代の急激な都市化に対応した法律ですので、モダニズム精神をもとに構成されています。地震や火事等の災害からから住民を守る耐震化・不燃化と、ゾーニングと建築制限等によるまち全体として秩序ある発展、などを目的とした集団規定と、都市の中で文化的な生活ができる最低限の住環境の確保や、周りに悪影響を与えない程度の環境保全を規定した単体規定の2本柱で構成される法律です。基本的に全国一律の規定で、歴史的建造物を含めたすべての建築物に適応という問題の多い、未だ発展途上の法律です。

右肩上がりの進歩史観、スクラップ&ビルドが前提の考え方であるため、現行法文と合わないところを”既存不適格”という社会の外側に追いやるような考え方で構成されています。そのため、見放された、おいてきぼりの、塩漬け空間、(道、敷地、建物、住民など)、が日本中にあふれています。昭和モダニズム時代からストック時代へ移行してしまった日本。今までのような外に追いやる排除の論理だけでは、成り立たなくなってきています。

このような状況の中で、都住研のみなさまの試みにより新しい法律ができました。まさに、法のリノベーション。時代の変化に合わせ、これからの未来を見据えた方向性を指し示すような法ができたことにより、排除の論理で外側に追いやった一部の既存不適格地帯を法の内側へと囲い込むことに成功しています。

ストック時代、人口減少時代、床余り状態の中で、もし本当に、既存不適格地帯を法の内側へ囲い込み、どうにかしようと考えているなら、既存不適格地帯の再生プランを提示・確立し、積極的に推進していく必要があります。”既存不適格的排除の論理”を排除し前向きのプラン提示の必要性を感じました。とはいうものの、具体的にどう改正したらよいのか、難しくてわたしにはよくわかりません。次にその答えの一例をみてみましょう。

○ 既存不適格をふくめ、建築基準法をどうするべきなのか?
都住研のみなさまのご提言が、その答えの一つです。これらの内容は大変勉強になります。

都住研提言 法のリノベーション

狭隘道路、袋小路関連の既存不適格地域の現実的社会復帰政策
・ 第一次提言:袋小路・二項道路小委員会提言
・ 連坦建築設計制度

これらのご提言は、塩漬け状態の既存不適格地帯を現実的対応で再生可能にするご提言で、すでに法案化され、再生された事例もあります。

このように、不動産を、”個人所有の個別的視点”から、”国富として地域的な多角的視点”に転換し、面的視点での開発、地域特性に合わせた法適用の容認、生活・防災視点の構造指定、住民参加システムの確立など、社会の外に追いやるような印象の既存不適格地域を取り込んだ、ストック時代を見据えた現実的対応ができる法律に改正することが必要であることがわかりました。
(一般の方にはわけのわからない”建築”と”消防”の各法律を、ストック時代に対応した、分かりやすい現実的な内容の法規に変えることができると良いのでしょうが・・・)

このような法改正に加え、既存不適格という状態ならではの価値を活用した再生プロジェクトも実際に取り組まれていました。お時間の関係上ご紹介のみになってしまいましたが、全国の同様な場所で応用できるこれらの事例のお話を、もう少し詳しくお聞きしたかったです。

3-2,住文化のリノベーション → ストック時代の住まい方

3-2-1、コンペによる住文化の提示

○ 「京都まちなかこだわり住宅コンペ」 これまでの近代史観のリノベーション

コンペのテーマを見ると、これからの日本の住文化の方向性が見えてきます。

テーマ
1,京都らしさ
2,地産地消
3,地域産業連関
を備えた住文化の創設

○ コンペのテーマは全て、機能主義、合理主義、経済原理など、昭和モダニズム時代では良いこととされてきた考え方を、足元の日本の、そして京都の文化を見直し、近代システムの中で再構築していく試みのように感じました。目的を達成し役割を終えようとしている昭和モダニズム時代の考え方を、ストック時代の日本の京都らしい考え方に修正し、近代以降の本当の日本の住文化を作り上げようというこれからの日本が目指すべき方向性が提示されています。

巻き込まれていくグローバル化と、高度な情報化。偏西風や台風のように、国境線など関係なく渦中に巻き込まれていきます。対して、境界内の利益・文化を優先させ守る事を是とするローカリズム。果たして、敵対関係にありそうな二つの考え方は、深刻な対立なき共存ができるのでしょうか?

3-2-2、企業コラボによる再生システムの構築

京都では、まちが新陳代謝するかように、ストックを活かした数々の再生事業が行われています。

○ リ・ストック住宅「ハチセ」
ストックされた町屋を、現在の住宅標準スペックにリノベーションし、販売するシステム。
町家の良さを残しつつ現在の住宅標準スペックを満たしているので快適な暮らしができますね。

○ 堀川団地 築61年 同潤会では果たせなかった夢のチャレンジ
再現不可能性という価値を活かしつつ、現代によみがえらせる先進的なプロジェクト。
民間売却はしない、敷地を分離させないなど、多くの課題を乗り越えるべく、新たな試みにチャレンジしているようです。プロジェクトが基本コンセプトにそって進むことを願っています。

3-2-3、まちのビンテージ

すでに、住居の大量供給時代を終え、”床”が余りはじめた中で、落ち着いたまちづくりができるはずです。そう、たとえば、違いがわかる人々が住みたくなるまち、”ビンテージなまち”。それを実現するために必要なヒントを、大島さんよりご提示いただきました。

○ まちのビンテージに必要なストック要素と住民の気持ち
これらがストックされている「マチ」には潜在能力があります。

・  「モノ」「ヒト」「物語」+愛着度がます住民密着参加型システム

土地所有者がそのまちの住民なのか、現住民がそのまちとどのような関わりがあるのか、などで愛着度が変わってくるようです。ビンテージ文化には、愛着度指標がなにより重要です。そのまちに愛着がない土地所有者や住民が多ければ、ビンテージなまちになるのは難しいかもしれません。いかに住民のみなさまのまちに対する愛着度を高水準に保てるのかがカギかもしれません。

○ ストックを活かしたまちづくりの特徴

1,環境への負荷低減
2,地域の景観の保全
3,地域の住文化の継承と発展
4,住みごたえのある住環境
5,個性 (差別化)のあふれる地域性

ストックを活かしたまちづくりとは、建物だけではなく、景観やそのまち特有の個性など建物を取り巻く住環境全体のことであるというご指摘です。こんなまちがあったら住んでみたいと思いませんか?これからのまちづくりとはストック文化を確立することです。これらが確立すればビンテージなまちとなるのではないでしょうか。

○ これからのまちづくりに有効な「ゲリラ戦術」

・ 大規模開発から → 小規模地域再生開発へ
・ 奇特な取り組み → ビジネスへ
・ 用途変更 → 社会の変化に対応
・ 用途コラボ
・ 戦略的リノベーション
・ 既存不適格ならではの利点(高付加価値化)
など

このお話もご紹介のみになってしまいました。実践されている「ゲリラ戦術」、興味深いですね。機会がありましたら勉強させていただきたい内容です。

3-2-4、地域ブランドの成立過程とモデル化

○ 京都町屋再生による地域ブランドの成立過程

京都の町屋ストックの状況ですが、”蛤御問の変”での大火後にできた町屋が、一部を除き震災を免れ残っているとのことです。これらの貴重な財産を活かしたまちづくりも積極的に行われているようです。そこには、まちの新陳代謝サイクルのようなモデルが見えてきました。

古いがゆえに新しいさを感じさせる町屋。老朽物件であるがゆえに格安。チャレンジ精神を持った方々が住み始めいつしかそれらが集積してくると、認知度が上がり、家賃が徐々に高くなり、ブランド力もついてくる。すると、その地域が別のステージへとバージョンアップするという現象がおきているとのこと。これは、どこででもありえる共通の現象であり、ステージが上がった段階での対処いかんで、その地域の行く末が変わっていくようです。どこを目指していくのか未来を見据えた対応が必要のようです。

○ 町内レベルの街の発展から停滞、衰退のモデル
町内レベルの街の発展は、福岡でも京都でも、下記のような経緯で発展から停滞までのモデル化が可能なようです。

価値が認められていない地帯→まちづくり・リノベ等手を入れると価値が出てくる→人が群がる→価値高騰→投機マネー過剰流入→崩壊→瀕死状態→価値下落

投機マネー過剰流入を防ぎながら、節度ある継続的発展がいかにできるかが課題。
福岡では、”親不孝通り”地区の発展と衰退、”大名”地区の発展と衰退の経緯が、わかりやすい実例となっています。まちの発展から停滞モデルを計画的に循環させることによって、20から30年サイクルのまちの新陳代謝モデルができるかもしれません。

3-2-5、問題点

○ “空き家”対策 → 日本全体の社会的大問題
京都でもすでに”空き屋”問題が出てきているようです。
“空き家”の発生要因を詳細に研究なさっていました。

“空き屋”の分析により、次のような”空き家”対策のキーワードのご呈示がありました。もう少しお聞きしたかったですね。

・ 人口、流通、再生 でまちの新陳代謝は促進され、よみがえる。

3-2-6、ストック時代を向かえた近代以降の日本の住文化

京都では、同潤会アパートと同時期に完成し、未だに住民の生活が生きている”堀川団地”があり、再生/再開発計画が進んでいました。

昭和の初めから、徐々に変化してきたライフスタイル。だいたい1980年代中頃には近代以降日本人が目指してきた住環境、そして、ライフスタイルが確立・完成したといってよいのではないでしょうか。堀川団地の写真を見ると、今では想像もつかない”生活”が見えてきます。多くの人々の絶え間ない努力により、現在の快適な住環境が確立・完成できたことを思い知らされます。
この確立した住環境とライフスタイルを基準として、ストック時代の新旧織り混ざったまちで、近代以降の持続可能なあるべき日本の住文化を考えていく時期に来ていると思っています。大島さんが関われられているの数多くのプロジェクトを見させていただきますと、その向かうべき方向性が的確に提示されています。

3ー3,「都住研」による、”夢”のリノベーション
都住研「第4次提言」

私が学生だった頃と、今は、世の中が変わってしまいました。学生時代抱いていた都市そして建築界への”夢”は、90年代半ばで役割を終え、ノスタルジックな物語となってしまいました。
ストック時代を生きる未来の日本の姿を的確に掴んでらっしゃる都住研の皆さんは、”夢”のリノベーションを行い、若い方にも希望をもてる新しい時代の”夢”をご提言、発表していらっしゃいます。

○ 京都の未来都市の姿 → ”夢”

・  個性のあるまち
・  職住共存のまち
・  地域資源のネットワークによる回遊性のあるまち
・  京都市民と内外観光客が交流するまち
・  誰もが歩きたくなる京都(みやこ)

これが実現したら、なんと魅力的なまちになることでしょう!この、ご提言には夢があります。輝く未来都市が夢だった世代にはわからないかもしれませんが、これが、近代以降の日本の京都における本当のまちの姿であり、これが、これからの時代の実現可能な”夢”なのです。

■ 終わりに:OSリノベーション

・ 都市・建築・不動産分野のOSリノベーションは、千数百年間幾たびも新しいOSを創造してきた京都から始まっていました。

ビンテージビルカレッジは、スクラップ&ビルドが当然だった右肩上がりの時代が終わり、ストック時代の水平低空飛行の時代へ転換した今の日本では、有り余るビルを寿命まで有効活用することが必要である。そのためには、ビルにも価値と時間の反比例的な単純な価値基準だけではなく、”ビンテージ文化的視点”による評価基準が必要なのではないかということから始まりました。

どうも、ソフトインフラといわれるあらゆるシステムが、資本主義経済の前提条件のように無限に発展していくような幻想の上、右肩上がりの成長・発展を前提に作られているようです。
建築基準法もそうで、未開人のような前近代の人々の営みを否定し、古い建物に変わり近代建築が建ち並ぶ近代都市への更新がみんなの創意であり、そうあるべきだという精神で構築されてきました。法で規定した内側では、合理的に機能しましたが、排除の論理で外側に追いやった部分では、なかなか事は進みませんでした。生活空間とは、想像以上に前近代的であり、非合理的であり、非機能的であるものです。他人には過酷で絶対生活できないと思われる環境でも、実に多くの人々が生活しています。

そのような、常識外、想定外、法規外の部分をどうしていくのか?が問題となっています。もう既に、建築基準法の外だから相手にしないという排除の論理でのみ対応する時代は終わりました。消防のように、現実的対応をしないと成り立たない時がきているようです。

都住研のみなさまのお仕事は、現状を的確に分析し、現実的実践的視点で、迅速かつ合法的に進めていこうとする、革新的な試みだったのです。

*都住研さんのご提言にご興味のある方は、ホームページをご覧ください。
都市居住推進研究会 http://www.tjk-net.com/

*リノベーションとは、永久発展前提の近代史観を修正し、近代以前の営みを振り返り、安定的・持続的なアフターモダンの新世界観をつくること。

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第2部

■ コーディネーター大島さんによる三つの質問と、パネリスト4名のみなさんによる”答え”コーナー

他のパネリストの方のご意見に耳を傾ける余裕がありませんでしたので、私の意見のみです。また、今回のレポート作成に当たり、会場で発表した答えをもとに、新たに考え直し、大幅に加筆、修正しています。

設問1,高経年物件ビンテージの何がよいか?
私の答え:「なんじゃこりゃ」

高経年物件は、いくつかの魅力があります。その魅力は各物件異なりますが、いくつかの視点を持つことにより高経年物件を楽しく見ることができます。その魅力をまとめてみました。

1,考古学者の視点 探検、発見、推察、調査

30年以上経つ物件に入ってみると、時々「なんじゃこりゃ」と叫びたくなるような得体の知れないものに出会うことがあります。それらに出会ったとき、果たして、この”痕跡”は何なのか? 考古学者の気分でいろいろ推察してみると楽しいものです。

・ 風習の痕跡
・ 生活の痕跡
・ 設備機器更新の痕跡
・ 補修の痕跡
・ 改装の痕跡
など、生活の跡の残る空間は魅力的です。

2,技術者の視点 技術発展の歴史
高経年物件は、当然ながら建設当時の技術を利用し作られています。技術は進歩し、生活水準は上がり、ライフスタイルは変わっていきます。右肩上がりの時代はバージョンアップが前提の時代です。昔の技術に次々と新たな技術を付加して生活水準に合わせようとしていますが、元々昔の生活水準、技術でできていますので、往々にして無理な状態での改修となります。その結果、露出した配管、給湯器、電線管等、むき出しの”技術”が部屋の中に現れます。

昭和のライフスタイルは、特に水回り空間の技術発展と同期的にバージョンアップしていっていますので、水回りの状況を見るとだいたいの年代がわかります。また、建物の外観や内装を見ても、建築材料、製品、仕上げ素材など、年代によって移り変わっていきますので、水回り同様だいたいの年代が推察できます。

3,暮らし・風習風俗の視点 くらしの移り変わりの歴史
建物は、その時代の暮らし、習慣、世相、社会、風俗などをもとに設計デザイン建設されます。日々の暮らしの中では、連続した時間の中にいるので、なかなか実感しないのですが、高経年物件に突然出会うと、連続性がない過去が突然目の前に現れるため、何でこのような作りになっているのかわからないことも多々あります。後日調べてみて、こういった暮らし方をしていたからこのような作りになっていたのか・・・ということもよくあります。

4,デザイナーの視点 様式 デザイン 流行の歴史
デザイン、様式は、ファッション同様流行がありますので、その時代のデザインを素直に取り入れた物件を見ると時代の息吹、懐かしさを感じ、時間の流れを実感することができます。
最近まで都市化による住居不足が最大の都市問題でした。そこで、迅速に大量に住居を供給するために、「標準設計」が取り入れられ、全国一律の似たような建物が大量に供給されました。その結果、その時代共通の雰囲気というものがみてとれる建物が数多く見られます。その中でも、それぞれの建物の個性があり、”時代性+個性”を考えながら鑑賞するのも高経年物件を見るときの楽しみです。

5,アートの視点 オーラ 存在感、物質観
高経年物件の最大の魅力、といってもよいかもしれません。それは、古いモノしか発することのできない”物質感”です。古いモノをなぜ”古い”と感じるのか、それは、物質の物理的、科学的、人為的経年変化によるオーラともいうべき雰囲気を、繊細なる感性で感じとっているからです。ツルツル、テカテカ的な新築では、物質観を消し去る方向で施工されることが多いので、新/旧の違いが鮮明に出てきます。時間が経つこと等による物質の劣化=経年変化が、時にアーティストとなり、物質感あふれるアート空間を作ることがあります。

想像力を喚起する雰囲気のなかで、見えないものを感じとる繊細なる感性の習得。それが高経年物件の魅力を楽しむ秘訣です。

設問2,福岡と京都のリノベーションの違い
共通点、創意工夫点

私の答え:「価値 時間」

実は、どちらの都市についてもあまり知識がありませんので、印象論でお答えしております。
二つの都市は、時間=歴史の価値の捉え方が異なるようです。

○ 環境
・ 京都:環境は福岡より厳しい
・ 福岡:環境は京都より穏やか
建物内の温熱環境水準をどうするのかで、大きくリノベーション内容や工事費が変わってきます。

○ リノベーション
・ 京都:世界の歴史を背負う”歴史を生きる京都”。伝統をふまえ活かしたうえのリノベーション
・ 福岡:豊かな土地ならではの”現代を生きる歴史都市福岡”。現状の流行、”今”スタイルのリノベーション

伝統的な町屋には、環境に適した住まい方が確立しており、それを基礎としたリノベーション手法が有効です。(伝統復活型リノベ)
近代建築のリノベーションでは、伝統というより、今、これから先をどのように作っていくのかというところがテーマになっていることが多いように感じます。(ファッション型リノベ)

住居が既に余っているのはどちらも同様です。既に全国的問題。

○ 十数年福岡に暮らしてみての私の感想です。
福岡は、ないものを探すほうが難しいといってもよいような、何でもある豊かな土地です。福岡で発祥したものがたくさんありすぎて、特に騒ぎ立てることもないという贅沢な面もあります(笑)。環境面でも豊かで暮らしやすい土地です。ソフトコンテンツも新旧どちらも豊富で、大変活動的なまちです。中心街は、コンパクトシティという名にふさわしく、自転車や徒歩でも充分楽しめます。(”福博”という言葉が表すように、中心部は二つの地区、福岡地区と博多地区で構成されています。これがわからないと福岡の姿は見えてきません。)
これらの印象から『豊かな土地ならではの”今を生きる歴史都市福岡”』とお答えしました。

設問3,「住まい方の自由」で何が可能になるのか
私の答え:自分の居場所

自分が自分でいることのできる自分の居場所。
世帯内人数が減り続ける中、社会システムを家族から個人単位にしていかないと、様々な点で矛盾が出てくるようになってきました。流動化する社会で自分を確立し自分を保持していくのは大変です。リスクヘッジとして自分の居場所をできれば複数確保しておく時代かもしれません。(複数の自分) 自分が自分でいることのできる自分の居場所の有無が日々の幸福度を決めるような人々も多いように思います。住まい方が自由になることにより、自分が自分でいることのできる居住空間を、少なくとも一つ確保することが可能になる時代がくるのではないかと思っています。

○ これからは、仕事の変更や家族構成の変化などによるライフスタイルの変化に無理なく対応した住み替えや、個人の感性に立脚した個性的ライフスタイルに対応した居住空間など、有り余る”箱”を有効活用した自由な住まい方が標準となるのではないでしょうか?

1,仕事の変化→流動化への対応
2,心の変化→ファッション的住み変え
3,家族の変化→身内の状況変化に対応

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第 1回目が”衣”、第2回目が”働”、第3回目が”食”、今回の第4回目が”街”でした。”住”空間を取り巻くこれらの生活空間を、新時代にあった新しいライフスタイルにどのようにリノベーションさせてゆくのか?大きなヒントが得られた意義深いお話となりました。
まとめのご報告は次回(いつになるでしょう・・・)

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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)終了
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)終了
第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)終了
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)終了

こちらもご覧ください
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回 「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

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■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第4回「京都のビンテージが生みだす都市再生」が終わりました。

3月 10th, 2013

■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第4回 「京都のビンテージが生みだす都市再生」が、昨日3月9日(土)に開催されました。


↑ カレッジ開催前に「山王マンション」のリノベーションルームの見学会が開催されました。私は、昨年リノベーションのデザインをさせて頂きました305号室のご説明をさせて頂きました。


↑ カレッジの開催です。お着物でご登壇されました大島さんの京都での多岐にわたる取り組みのお話でした。
これは、「プロジェクションマッピング」という言葉が広まる前に、既に京都で2004年から開催されていた「三条あかり景色」というプロジェクトのお話です。


↑ その他、多くのプロジェクトのお話をお聞きすることができました。ストック時代に突入している日本では、これまでの新築前提のシステムが機能しなくなってきています。今回のお話は、京都という地域で、ストック時代に有効なシステム・手法の提案のみならず、実践し、新しい時代にあわせ社会を変革していっているという取り組みの内容でした。(これからの日本のスタンダードになりそうです。)


↑ ご講演のあと、4名のパネリストが参加され、パネルディスカッションが行われました。
 
 
ご報告と私の感想は後日アップさせていただきます。
(はじめてお聞きする内容ばかりでしたので、今回はかなり時間がかかりそうですが、なにより私の勉強になりますのでなんとかしたいと思っています。(笑))
 
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福岡ビンテージビルカレッジ:http://www.space-r.net/bunkasai/college
京都のビンテージが生みだす都市再生

日時 2013年3月9日(土)15:00~17:30
懇親会(17:30~1時間程):参加無料
会場 山王マンション(福岡市博多区博多駅南4-19-5) 》 会場アクセス
タイトル 「都市居住推進研究会のチャレンジ!」
~京都の不動産事業者・建築士・研究者・行政関係者がタッグを組んで、住まい・まちづくりの難題に取り組んでいます~
講師 大島祥子氏(都市居住推進研究会 事務局/スーク創生事務所 代表)
【略歴】
一級建築士、技術士(建設部門)。京都生まれの京都育ち。途中大阪で3年働くも、それ以外はずっと京都の井の中の蛙。建築・都市計画の領域から、京都の魅力づくり・発信に取り組んでいます。
【活動紹介】
都市居住推進研究会 http://www.tjk-net.com/
1994年発足。京都市内の住まい・まちづくりの課題(細街路、既存不適格建築物、建売住宅の質と景観形成、地産地消、住宅の産業連関、京都ブランドの住宅づくり等)の解決に向けた調査研究、提言、モデル事業などを実施しています。
今回は、モデル事業(まちなみ住宅設計コンペ/北大路まちなか住宅コラボレーション/京都まちなかこだわり住宅)についてご紹介したいと思います。


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こちらも御覧ください。

福岡ビンテージビルカレッジ / 第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想

 


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■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

2月 18th, 2013

福岡ビンテージビルカレッジ
第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 : 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)

着実に、よりディープに発展してきた日本のポップカルチャ(サブカルチャー)。現在、世界の最先端を走っているのではないでしょうか?しかし、日本のポップカルチャー(サブカルチャー)をリードしている若者達の”食”に関して考えてみると、はたして、日本の日常的大衆”食”文化は発展してきたといえるのでしょうか?サブカル的に発展してきたとして、発展してきた方向性はよかったのでしょうか?それを、突きつけられたような内容のお話でした。

また、「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉が登場しました。私にとって初めて聞く言葉ばかりで、新鮮な内容となりました。ここに、”食のビンテージ”のヒントがありそうです。

■ 原点 どこに帰るのか?

○ 懐かしさを感じるようになってしまった学生の食事

お話はまず森さんが非常勤講師をされている大学生のみなさんの、毎日三食一週間分の食事メニュー調査結果の一部紹介から始まりました。
出来合いのもので食べつないでいる男子学生、実家にいながらバイト先のドーナツを夕食にする女子学生。昔を懐かしく思い出しつつも、30年前と変わらない学生たちの食生活に怖さも感じました。このような食事が学生諸君の標準食として確実に定着化しているのです。
ここで森さんは、”弧食”、というご指摘をされました。私は初めて聞く言葉でしたが、一人で孤独に(寂しく)食べることを”弧食”というようです。一人暮らしや実家にいたとしても一人で(寂しく)食べる状態、つまり、”弧食化”がこのような食事メニューになってしまう一つの原因として考えられるということです。「”弧食化”が招く”食”の劣化現象」といえそうです。

○ 日本食の原点

ファストフード、ファミレス、コンビニ、弁当屋、などが登場してきた70年代から40年程経ちますが、市場原理に忠実に従い発展してきたこれらの食べ物、メニューとは、いったいどこの、だれの、何の食べ物なのか、改めて考えてみると、よくわからなくなってきました。

時代の転換期には、今までのシステムがうまく機能しなくなり、大規模な修正や、時には、まったく新しいものに更新しなければならなくなります。また、うまく機能していたとしても、方向性に問題があれば目的や方向性を改め、軌道修正をする必要があります。それに伴い、自分の考え方の変更を余儀なくされたり、根本から否定されたりすることもよくあります。私もそうですが、その時に誰しも”迷い”がでてきます。元々何を目的に何をやってきたのか?迷いの中で、いつしか時間をさかのぼり、”原点”とは何だったのか?を探し始めてしまいます。

そこで森さんは、日本人の食の原点として、「ごはん、味噌汁、焼き魚、おひたし」という献立を提示してくださりました。どのようなものでもそうですが、原点とはシンプルなものです。無駄なものはなく、必要最低限のものは網羅している。風土や地域性、歴史や民族性など必然的に生まれ出てくるものです。

右肩上がりから水平飛行時代に移った中で、”食”に関しても、近代以降の日本人にとって、あるべき本当のライフスタイルとはいったいどういったものなのか、を考える時期にきているようです。森さんのご指摘のように食の原点に立ち返るときではないでしょうか?食の原点の四品にたちかえり、”食”を考え直す。これは、何よりもまして最も必要なことのように感じました。

■ 引き算の時代 ー 本当に必要なもの=価値を見つけ出す。

○ 自由の中の不自由

元々なんだったのか?引き算していくと見えてくるものがあります。森さんは、日本食の原点とは、「ごはん+味噌汁+焼き魚+おひたし」、である。買えば何でも手に入る時代、選択肢が多すぎることで、自分にとって大切なもの、必要なものが何なのかを見失い、手っ取り早いもので済ませてしまう文化ができてしまったと提示してくださりました。これは、消費時代の有り余る選択肢の海原で漂流する難破船状態、大きな目標を見失い、目の前のことにのみ反射的に行動してしまう、ある意味、”自由の中の不自由状態”といえるかもしれません。
選択肢の氾濫、多様化が進む世の中で、必要ないものをいかに上手に捨て去り、必要なものを拾い上げることができるのかが、難破せずに、目的地に向けて航行できるテクニックの一つのようです。

○ 賃貸物件におけるマイナスのデザイン

機能の付加的バージョンアップで進んできた日本製品。賃貸物件に関しても同様で、時間が経てば経つほど価値が落ちるという宿命の中で、他物件と比べ少しでも機能、性能が劣らないようにしていこうという競争に邁進してきました。それは、最新の新築物件が最大評価となる、右肩上がりが前提のモダニズムの考え方を基準にした”リフォーム時代”の考え方です。
この考え方ですと、未来永劫、機能付加的バージョンアップをしていかなければならなくなります。これが永遠に続くことは不可能ですね。
前回の感想の中でも書かせていたできましたが、右肩上がりモダニズム時代が終わり、次の時代に移り変わっています。”リフォーム”から”リノベーション”の時代へ。モダニズム時代からリ・イマジネーションの時代へと。

右肩上がりのリフォーム時代、次々に付け加えられ、バージョンアップしていく機能でしたが、リノベーション時代に入り、逆の現象、”マイナスのデザイン”も多々現れてきています。解体撤去された化粧材、がらんどうのスケルトン状態の必要最低限にまで還元された空間。モダニズムの原点の空間がこれです。
どこに寝て、どこでくつろいだらよいのか?与えられることに慣れた入居者を惑わす空間。そこには何もないのですが、じつは入居者の想像力を最大限尊重した最大限の”自由”があるのです。見た目不自由に思える”がらんどう空間”には自由があります。”不自由の中の自由”ともいえます。

機能を引き算することで、つまり、マイナスのデザインにより、入居者のみなさんの自由度を上げるという要望に応えることもリノベーション時代には成立します。

■ 食の文化祭

○ 日常文化祭

宮城県宮崎町、地方の田舎まちで行われたイベント”食の文化祭”。各家庭から一品持ちよりで料理を集め、みんなで食べてみるというイベントだそうです。これはまさに、これからの生活中心社会にふさわしい、ありぶれた日常へ敬意をはらい、そのすばらしさを再認識する現代の文化祭ではないでしょうか。
このイベントでは、料理の優劣はつけないそうです。日常を彩る各家庭料理の多様性、そして、風土や歴史から生まれ出るその地域の独自性に価値があり、それを、自分たちで定期的に再認識し称え合い、次世代へ伝えていこうというような主旨のように感じました。

○ 行事食 伝統食 地域食

全国各地、様々なお祭りがありますが、どのお祭りも”食”の視点から見ても重要であることを、今回のお話で学ぶことができました。これまで、お祭りなどの”伝統行事と食”の関係は、私は全く考えたことがありませんでした。各地方の古くから行われている伝統行事が実は食文化のイベントでもあったのです。食の文化祭で行われた、各家庭一品持ちよりは、実は、地域の伝統行事で既に長年続いてきたことだったようです。(ハレとケの違いはありますが)

お祭り等の行事にふるまわれた行事食が、その地域独特の地域食になっていき、いつしか伝統食となっていくとのご指摘が、食文化の成立過程をよく表しており、大変興味深い内容のお話でした。

■ 何もないとは何がないのか? ー 日常の見直し時代。

○ 日常と非日常

よく、地方に行ったり、田舎に行ったりすると、ここは何もないと話したり、聞いたりします。過去を振り返ってみて、いったい何を持って、”ここには何もない”と言っていたのだろうと思い返すようになりました。
旅行やレジャーといえば、希少性のある、日常にはない非日常的な施設や行為が目的で出かけることが多いのですが、その非日常的施設や行為が”有る/無し”という視点で、勝手に決めつけていたようです。考えてみれば人が住んでいるところは、どこに行ったとしても日常があるので、非日常的視点でのみ”有る/無し”を判断し、決めつけてしまうのは乱暴すぎることがだんだんわかってきました。

○ 日常の価値

希少性のある非日常的施設や行為はもちろん価値は高いのですが、旅行、レジャーブームにより、多くの人々がそれらを求めるあまり、希少性や非日常性の価値が思った以上に高騰してしまい、退屈な日常生活の価値が低いものという評価基準が社会の常識となってしまいました。

○ 歴史も日常に目を向け始めた

歴史においても、庶民の日常生活の価値が見直されているようです。やり尽くされた為政者の歴史から、庶民の生活に焦点を当てた歴史が掘り出されるようになってきました。人間味あふれる庶民の暮らしの歴史は思いがけないことも多々あり、大変おもしろいです。

○ 評価基準の転換

近年、脚光を浴びているコミュニティーデザインは、ありふれた日常は低価値であるという概念を逆転させ、日常の価値を自らとらえ直し再定義するという評価基準の転換と再定義から始まるようです。(ここには何もないのではなく、こんなにも日常を支える様々な価値あるものにあふれている・・・という感じでしょうか。)
先ほどご紹介した食の文化祭は、このような評価基準の転換により、日常を彩る家庭食に焦点をあたコミュニティーデザインといってもよさそうです。

これらの価値を考え直すことは、”原点”とは何であったのかを考えることではないでしょうか?これからどんな考え方で、どのような目的でライフスタイルを確立してゆくのか、原点を見直し(=リ・イマジネーションし)作り直してゆくときのようです。

■ 自分で作る=セルフビルド

○ 弁当を自分で作る

ある小学校で、自分で弁当を作る日をつくり実施してみたそうです。便利なシステム内にいると自分が何に支えられているのかがわかない状態で日々を過ごしてしまいます。私も学生の頃、日々のお弁当や食事は自然と出てくるのが当たり前だと思っていました。これを認識するために自分で弁当を作ってみる、つまり、セルフビルドしてみるという試みです。

○ セルフビルドはたのしい

徐々に広がりを見せるセルフビルド。それは、生活とは何かを探している行為のようにも見えます。全てを合理的に計算の遡上に載せてしまう資本主義的考え方が、体の感覚的なものと齟齬をきたし、無理な考えなのがバレた感じではないでしょうか?他人に任せてしまい消費することで片付けてしまう意味に魅力がなくなってきた(飽きた?)ようです。もともと人が持っている手を動かしてものを作る行為が復活するのは至極当然の健全なことのように思います。

○ セルフビルドx空き屋リノベーション

有り余る建物をどうしてゆくのかは人口減少時代に突入している日本では、すでに社会問題になっています。現状の用途に合わない建物を有効利用するには、セルフビルドが有効であり、理にかなっています。むかしのように、自らの生活を自らの手で作っていくことが近代のライフスタイルにも有効で、必要なことなのではないでしょうか。

■ ポップカルチャー(サブカルチャー)X行事食

これは、これからの社会で最も必要で、最も大きな課題である”食育”と”食文化の伝承”についての具体的対応方法として有効かもしれません。偉大なる家庭内食文化が”弧食化”により有効に活用されず、次世代へと伝わることもなく、消え去ってきているようです。現在の貧弱な”弧食”の皆さんの食事を改善するために、家庭内食文化を若者たちの日常にどのように忍び込ませ、伝承させていくのか、次のようなご提案がありました。

何かのイベントに集まったときに、必ずといっていいほど”食”がからみます。その時に手作りのもので楽しむ食事、つまり、”行事食”を文化にしていこうというご提案です。
食に限らず、何かを広めたり、伝承していこうとする場合、すでに存在している若者達の集まりやコミュニティーにうまく滑り込ませることができれば、自然に広がり、伝えていくことができるかもしれません。
予想以上に貧弱な若者たちの日常”食”文化。日本全体をみても一世帯二人以下が半数を占めるようになった中で、便利であるが故の退化(?)状態の食文化をどのように立て直すのか。大きな課題です。

■ “場”

森さんは打ち合わせ当初から”場”の重要性を指摘されていました。
つまり、”場”に”食”ありです。もしくは、”場”と”食”をつなげよう、それがこれからの社会に必要ではないかというご指摘です。
私なりに考えてみると、第一の場所が住居、第二の場所が職場、そして、住居と職場以外の場、第三の場所=”サードプレイス”と”食”をつなげることで新たなライフスタイルを確立できるのではないかということです。
もちろん、住居、職場での食が最も大切なのですが、二人以下の世帯が増加し、家庭があったとしても共働きも多くなり、職場も不安定化する中、孤立し弧食となってしまった場合、これらの場所以外の”場”がもう一つあり、複数人で食卓を囲うような機会を作ることができれば、生活に少しかも知れませんが、安定感や安らぎ、安心を得ることができるのではないでしょうか?。
人口減+高齢化+少子化の社会では、余った建物をサードプレイスとして”食”も含めて活用することにより、生活圏コミュニティー全体のライフスタイルを確立できるのではないかと思っています。

■ 仮設住宅での食の文化祭

ボランティアのみなさんに、やってもらうばかりでは、実は、心の負担になるという中で出てきた自然的行為が、仮設住宅で行われた”食の文化祭”だそうです。仮設住宅にお住まいの方々が、家庭料理を持ち寄って開いた文化祭。大震災とは写真や映像に残らない多くの無形のものも破壊してしまうようです。もしかすると、行事食、伝統食、地域食、それを支える多くの家庭の日常食を破壊してしまったかもしれません。

■ 食xビンテージ  食のビンテージとは何でしょうか?

ビンテージは、個人からわき出てくる感性が元になり成立しています。ですから、広く社会に共感を得るというよりも、サブカル的な一部の島社会の中で強く共感を得るということになりそうです。個人の感性に立脚したビンテージ的価値を基礎とした文化は、サブカルチャーとの親和性がよいので、着実に広がり、定着してゆく文化ではないかと考えています。

多様なる日本食、これは、日本の風土とそこに生活している日本人気質が成し得る独自の多様なる文化です。代々受け継がれてきた食文化が、いきすぎた孤立化により途絶えようとしています。便利になりすぎた分、今や、日常的日本食がビンテージ化してきたといってもよいかもしれません。希少価値となってきた(?)日常の日本食。森さんのご指摘された試みを参考に再生していく必要がありそうです。

「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉。さすが日本人、こういった面からみても、もう既にビンテージ化(サブカル化)しているように思えてきました。多様な食の分類が、それぞれの価値の定義など、ビンテージ化の基礎となる評価基準の設定に役立ちます。これからも、よりディープに発展していくポップカルチャー(サブカルチャー)。日本の日常食をビンテージ(サブカル)と位置づけることにより新たな展開や広がりが可能になるのではないでしょうか?
これまで市場にまかせ、サブカル的に発展(?)してきた若者を取り巻く日本の日常的大衆”食”文化の方向性を軌道修正し、森さんが提示してくださった、日本の食の原点である四品に立ち返り、若者たちにも受け入れ可能な新たな食文化を作り上げていく時がきているようです。

■ 二つの不自由

「行きすぎた自由・多様化による不自由」と「付加されすぎた機能や超過サービスによる不自由」

豊かさを求め、自由を望んだ結果、わずらわしい前近代的なつながりを断ち切ったのはよかったのですが、自由な中で自分勝手が行きすぎたあまり、助けが必要なときに誰もいなくなってしまった現代人。個人を中心とした多様なサブカルチャーが発展したのはよかったですが、ますます自由→個人→孤独へと進んでいる結果、行動が制限されることもでてきたようです。(多様化と自由超過の中の不自由)

明日は今日よりよくなるという右肩上がりの時代は、付加機能の増加分や便利性が消費の動機となり利益となる、機能のバージョンアップ、多機能化が前提の時代。
いつしか使う人はおいていかれ、モノだけが独自の進化を進み出す。いつしか、これだけグローバル化した情報化、自由貿易世界にも関わらず、”ガラパゴス化”という現象まで引き起こしました。(これはこれでサブカル的視点ではおもしろい)
食生活においても、コンビニ、ファストフードなど外食産業の発達により便利になりました。しかし、自分で食事を作らなくなり食文化は衰退してゆくばかりです。この状態は、食の自由が奪われているといってもよいのではないでしょうか?(機能・サービス超過による不自由)
先ほど指摘したように、賃貸・分譲マンションや住宅産業の住居でも同様です。

■ 最後に

第1回目が”衣”、第2回目が”働”、今回の第3回目が”食”、次回の第4回目が”街”です。”住”空間を取り巻くこれらの生活空間を、新時代にあった新しいライフスタイルにどのようにリノベーションさせてゆくのか?第3回目を迎えた今回も、大きなヒントが得られた意義深いお話となりました。
次回も楽しみですね。

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福岡ビンテージビルカレッジ :http://www.space-r.net/bunkasai/college
第3回 食文化から生まれるビンテージ/ 2013年2月2日(土)

タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)
【略歴】
1968年生まれ。福岡県宗像市出身。バブル時代に、東京でコピーライターをしていたが、消費社会にどっぷり浸かっている自分に限界を感 じ、親の病気を口実に96年に、福岡に帰郷。以降、九州を中心に農山漁村を歩きながら、食文化、農業等の記事を書くフリーライターとなる。2002年より 2010年までの8年間は、日田市中津江村の廃校活用住宅に移住。以来、書くことにあきたらず、食を核とした地域づくり活動や、村おこしの支援、子どもた ちへの食育活動などに関わっていく。2011年より福岡市在住。天神パークビルの屋上稲作「たのしイネ」アドバイザー。都市と農村、子どもたちや若者と農 村の、あたたかな関係づくりを模索中。
【活動紹介】
農業専門誌などへの執筆のほか、地域を見つめ直し、未来の暮らしに活かす「地元学」の指導やワークショップ、特産品開発、農産加工等の助言も行っている。
2000 年より、各地の食資源の見つめ直しによる、地域づくり活動「食の文化祭」「家庭料理大集合」の取り組みをサポート「築上つけもの博覧会(福岡県築上 町)」、「古賀のみかんの文化祭(福岡県古賀市)」、「高千穂のこびる発表会(宮崎県高千穂町)」など。関わった地域は70ヶ所以上になる。
農林水産省選定「地産地消の仕事人」、六次産業化ボランタリープランナー

主催:NPO法人 福岡ビルストック研究会/(株)スペースRデザイン/吉原住宅(有)
コーディネーター
吉原勝己氏(吉原住宅(有)代表取締役)/信濃康博(信濃設計研究所所長)
場所:山王マンション/1F

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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)終了
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)終了
第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)終了
次回
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)

こちらもご覧ください
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回 「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

 

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■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第3回 「食文化から生まれるビンテージ」が終わりました。

2月 3rd, 2013

■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第3回 「食文化から生まれるビンテージ」は昨日2月2日(土)に開催されました。

← 山王マンションの1Fで行われました


森さんのご指導で、みんなで「味噌玉」と「おにぎり」をつくって食べました(笑)


森さん特性の梅干し。美味しかったー。

ご報告と私の感想は後日アップさせていただきます。

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福岡ビンテージビルカレッジ :http://www.space-r.net/bunkasai/college
第3回 食文化から生まれるビンテージ

日時 2013年2月2日(土)15:00~17:30
懇親会(17:30~1時間程):参加無料
会場 山王マンション(福岡市博多区博多駅南4-19-5) 》 会場アクセス
タイトル 「伝統食の復権。今、見直される日本
私たちの帰る味はどこに?」
~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)
【略歴】
1968年生まれ。福岡県宗像市出身。バブル時代に、東京でコピーライターをしていたが、消費社会にどっぷり浸かっている自分に限界を 感じ、親の病気を口実に96年に、福岡に帰郷。以降、九州を中心に農山漁村を歩きながら、食文化、農業等の記事を書くフリーライターとなる。2002年よ り2010年までの8年間は、日田市中津江村の廃校活用住宅に移住。以来、書くことにあきたらず、食を核とした地域づくり活動や、村おこしの支援、子ども たちへの食育活動などに関わっていく。2011年より福岡市在住。天神パークビルの屋上稲作「たのしイネ」アドバイザー。都市と農村、子どもたちや若者と 農村の、あたたかな関係づくりを模索中。
【活動紹介】
農業専門誌などへの執筆のほか、地域を見つめ直し、未来の暮らしに活かす「地元学」の指導やワークショップ、特産品開発、農産加工等の助言も行っている。
2000 年より、各地の食資源の見つめ直しによる、地域づくり活動「食の文化祭」「家庭料理大集合」の取り組みをサポート「築上つけもの博覧会(福岡県築上 町)」、「古賀のみかんの文化祭(福岡県古賀市)」、「高千穂のこびる発表会(宮崎県高千穂町)」など。関わった地域は70ヶ所以上になる。
農林水産省選定「地産地消の仕事人」、六次産業化ボランタリープランナー

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こちらも御覧ください。

福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想

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■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第2回「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

2月 1st, 2013

福岡ビンテージビルカレッジ
第2回「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

タイトル:「ジャンクオフィスで働こう」 ~働き方をシフトしていく古いようで新しいオフィス事例紹介~
講師: 中島ヒロシ氏(株式会社アドアルファ 代表取締役)

○ 中島さんは「わたしはオフィスで働いたことがないんです。」こうおっしゃいました(笑)。なぜ、既成のオフィスとは異なる、自由な発想で、クリエイティブ空間”ジャンクオフィス”という仕事空間を多数創作されてきたのか、やっと判明しました(笑)。これからの新しい時代に適した仕事空間は、近代以降、それなりの歴史を積んできたオフィス空間が追求してきた機能性・合理性のみにとらわれない、新しい感覚・感性が必要だったのです。

○ “100社、100様”
ちょっと驚きました。数多くのオフィスをデザインされてきた中島さんならではの言葉なのですが、オフィスといえば、機能性と経済性が優先される無機質な空間以上のものは必要とされないことが多いので、だいたいどこも似たり寄ったりな空間というイメージがあっただけに、”個性”を表すようなこの言葉は意外に思えたのです。
考えてみれば、中島さんにオフィスデザインをお願いするということは、そもそも、どこにでもあるような空間ではない我が社ならではの空間を求めているわけですから当然かもしれません。これだけを見ても、仕事空間に何を求める時代になってきているのかを垣間見ることができます。

■ オフィス空間と居住空間の変遷
居住空間とオフィス空間が目指してきたものは何か?

○ オフィス空間の進化
近代が始まり、第一次、第二次、第三次産業へと移行してゆく中で、急激な都市化とともに”オフィスビル”が次々と立ち上がり、都市の風景を構成する中心的施となっていきました。独自の進化を遂げてゆく近代都市の象徴”オフィスビル”。その行き着く先のゴールが”インテリジェントオフィス”です。

○ “オフィスビル”は、何を目指し進化してきたのでしょうか?
機能的、合理的に物事を考えるのが近代=モダニズムの考え方です。仕事する空間は、どれだけ無駄なものを省いて効率的に仕事を進めることができるのかを、ひたすら突き詰めていきました。そこで出てきたオフィス空間のイメージが、”均質空間”です。数学で学んだX、Y、Z軸のグラフの中の同質で無限に続くかのようなマトリックス空間がそれです。理想は、室内はオフィスレイアウトの妨げとなる柱がない”無柱空間”で、外観は構造的な壁がない”カーテンウォール”といわれる透明スクリーンがイメージの全面ガラス張り、このような仕様のオフィスビルが次々と出現しました。程なくオフィスビルは高さを競うようになり、雲を突き抜け天に届くかのような”スカイスクレイパー(摩天楼)”が近代都市の富の象徴となっていきました。(これは未だに変わっていませんね)
このイメージを現実可能にしたのが、風力や地震力などの外力から建物を守る”構造”。そして、上下階に効率的に人々を搬送するエレベーター、ライフラインの給排水設備、仕事環境を整える空調・照明設備などの”建築設備”です。

国の経済力が上がり続ける右肩上がり時代、止まらぬ需要が建築技術の絶え間ない進化とスペックアップを推し進め、オフィスビルのレベルも上がり続けました。そのゴールが”インテリジェントオフィス”です。

○ 居住空間の進化
それに対して、居住空間は、狭さ克服のための空間の効率的利用、そして、主婦の負担が大きい家事を手助けする住設機器の開発と機能性向上が追求されていきました。それには、生活を支える最も基本的な部分、日本家屋の弱点であり、主婦を悩まし続けてきた三大水回り忌避空間の克服がどうしても必要でした。それは、住宅の隅に追いやってきた、つまり、主婦を隅に追いやってきた台所・風呂・便所を快適空間に改善し、キッチン・バス・レストルームを主役に、つまり、家の主役を主婦にしてゆくことです。
80年代中頃、ステンレスシステムキッチン、ユニットバス、ウォシュレット付トイレが広く普及し出し、忌避空間であった水回り空間が、悲願である快適な居住空間へと変貌し、ついには、オブジェ化した住設機器は主役ともなりうる地位に至ったのです。同時に省エネ技術も時代を経るごとにスペックアップし、すきま風もなく、結露も少ない快適居住空間が完成しました。

○ スタイルの登場
建築文化は、経済力が右肩上がりに大きくなるに伴い、モダニズムからポストモダンへと移行し、様々な提案、実験が試みられる中で、いくつかスタイルが出てきました。しかし、それはあくまでもプロが提案する上からの提示でした。(建築界ではポストモダニズムなどと言われていましたが、振り返ると社会はいまだモダニズムのままだったんではないでしょうか?)

右肩上がり時代が終わり、今世紀に入った頃、一時の熱狂から我に返った日本では、技術面で完成されたそれぞれの空間が、共通のスタイルを目指すような動きが出てきました。一つは”モダンスタイル”もう一つが”カフェスタイル”です。これは、大衆文化=ポップカルチャーが広く浸透し成熟した結果、泡のように湧き出てきたもののように感じられます。

“モダンスタイル”は簡単に言えば”カッコイイ”空間です。それに対し、”カフェスタイル”は”カワイイ”空間というイメージでしょうか?つまり、機能性、合理性を追求したものが良いものであるというモダニズムの時代から、完成された技術空間はそこそこでいいから、もっと雰囲気やスタイルを大事にしたいという、リ・イマジネーションの時代に移り変わったのです。

○ “モダンスタイル”はいろいろなテイストと結びつき、”シンプルモダン”、”和モダン”、”レトロモダン”、”ミニマムモダン”など、様々な言葉が生まれ、一般化するほど身近なスタイルとなりました。これは、建築も含めたデザイン分野における近代のプロジェクト、デザインの力で生活を豊かにしていこうという正統的な流れの中で生まれたモダンデザインが別のイメージ=感性と結びつくことによって成立しています。「機能主義、幾何学的無装飾主義、物質主義」+イメージ、それぞれテイストは違えども、総じてシンプルで”カッコイイ”空間を目指しています。

○ 一方”カフェスタイル”は、大衆文化から出てきたスタイルです。先ほどあげた近代デザインの目標は達成され、デザインは大衆文化に充分浸透しました。都市の文化も充分に成熟し、ここちよい時間を過ごせるカフェ空間こそが目的となるような社会になってきました。日本では、独自の進化を遂げている大衆文化、得体の知れない怪物のような言葉である”カワイイ”が登場し、一気に世の中の雰囲気を変えてしまったのです。どんな崇高な論理でデザインしたとしても、”カワイイ”の一言で、崇高なる論理がマンガの吹き出しのようになってしまい、無効化までは言わないまでも、そんな難いこといいじゃん、かわいいんだから、みたいになってしまいます。
そんなカフェスタイルが、多くの人々の心をつかみ、居住空間のみならず、仕事空間、商業空間、遊び空間、公共空間など、あらゆるところに浸食していきました。(あらゆる分野の社会全体に浸食し、飲み込んでいっています。)

○ ブランドからスタイルへ。
ひとまず完成された技術空間が標準となった社会で、他と差がつかなくなってくると、雰囲気で差をつけていこうという流れが出てきました。それが、”スタイル”です。上下を表現した昭和後期に流行った”ブランド”から、個性を表す”スタイル”への移行です。のちほど出てくる”ニュータイプ”が求める居心地とは、この”スタイル”ではないかと思っています。
新しい文化とは、前の世代の踏襲では満足できず、とりあえず拒否し、自分たちの世代”ならでは”の感覚、価値観を作っていくことで進んでいくようです。

■ ストック文化はブラックボックス度数が価値を決める一つの指標

○ 用途転用
モダニズムが始まりインターナショナルスタイルで行き詰まった建築界は、ポストモダニズムへ移行していきました。建築を機械にたとえ、一つの空間に一つの機能という発想が、世の中をリードしてゆく近代人にとってふさわしい建築であるといった時代から、徐々に別の試みが起きてきました。
これは、やはり、ストック文化が伝統的な慣習である西洋文化からです。古い倉庫をギャラリーにしたり、古い教会をバーやディスコにしたり、既存空間を、本来の目的とは異なる機能で、使い始めたのです。一つの行為や目的に適した一つの”らしい空間”に飽き、一つの行為や当初の目的とは異なる使い方が新鮮に、刺激的に、ファッション的に受け入れられ始めたのです。つまり、”らしい空間”に対する”用途の転用”です。
これは、ストック時代の古い建物活用方の一手法”コンバージョン”といわれているものです。これもこれからの時代は一般化する概念です。雰囲気ある空間をいかに転用=コンバージョンし、活かしてゆくのか、”らしい空間”をいかに”用途転用”するのかがおもしろいところです。中島さんのオフィス例でもいくつもそういった事例がありました。

このような用途転用現象の特徴的魅力を中島さんは”ブラックボックス”と名付けていました。次に、このブラックボックスについて考えてみます。

○ “ブラックボックス度数”
中島さんは、管理がしっかりしているが故、画一的な仕様で制約の多い新築物件から出てくるもの(=イメージ)はあまりない。しかし、古い物件からは何が出てくるかわからない。時に予想もしなかった大きなもの(=イメージ)が出てくることもある、ということを、古い物件は”ブラックボックス”である、と表現しました。この表現は、ビンテージ文化を的確にわかりやすく表現していると感じました。これは、ビンテージ的価値とは何かを理論付ける一つの指標となりそうです。つまり、”ブラックボックス度数”。何が出てくるのかは分からないが、何かが出てきそうだと期待できる度数のことです。これは、新築物件とは明らかに違います。
思い返してみれば、私がリノベーションしたくなる部屋・建物は、この”ブラックボックス度数”が高い物件でした。中島さんは、この感覚を経験から感じ取り理論化していたのです。リノベーションやコンバージョンなど、ストックビルの活用方法方は様々ですが、このブラックボックス度数は有効に価値を定義できるかもしれません。

■ “ニュータイプ”の求めるライフスタイル

○ “ここち”
近代=モダニズムの行き着く先=ゴールとは、バブルであり、オフィスビルで言えばインテリジェントビル、住居ではタワーマンション(?)のように思います。
ゴールに至った近代=モダニズムの次の新時代、ポスト(アフター?)モダニズムに移行していく転換期の中で、いろいろなところで今までの考え方が変化してきています。
先ほど提示しました”ブランド”から”スタイル”への変化のように、価値観の変化にともない、ライフスタイル、そして、ワーキングスタイルも変わってきました。それらをリードしているのが、バブル期を知らない若者達=”ニュータイプ”のみなさんです。
彼らが居住空間、オフィス空間に求めるものも以前とは異なり、昭和時代が求めたそれぞれの空間の居心地は、新時代の”ここち”となっているようです。それは、自分が自分で居られる戯れ空間のようです。

○ ワークライフバランス
仕事空間と居住空間が、ある時、共通のスタイルを目指すようになったこと、パソコン、インターネットなどで仕事に場所性がなくなってきたことで、必ずしも仕事をする空間が”らしい空間”ではなくてもよくなってきました。また、仕事内容によっては、どこででも仕事ができるので、仕事空間に求めるものも変化してきています。
理想とする生活は、適度なワークライフバランスで、それぞれの空間がここちよく、それぞれが尊重しあう自立した個人が集まって、社会に貢献しつつ利益を上げていくような、個人的にも、社会的にもやりがいのある仕事。それは、右肩上がりの時代とは異なります。それは、中島さんのお話の中に出てきた”余白”に対する価値観にも表れているようです。

○ 余白
生活空間と仕事空間の融合 曖昧な中間領域 余白の活用
モダニズムの世界の機能性・合理性を追求していく文化は、余白を消し去る文化でした。しかし、余白に機能、効用があることをもともと人間は知っていたし、重要なことも常識的になってきました。仕事空間においても、余白のデザインがいかにうまくできているのかが、仕事の効率に関係があるようなことも認識されてきているようです。一見無駄なように感じる余白を作り出し仕事空間の快適性をあげるデザインが中島さんのオフィスには多々ありました。
余白とは、余裕や豊かさの指標、つまり、理想とする生活に最も必要な価値あるものだったようです。

■ 最後に
立地がよい昔の建物
建物が建ち始めるのは、立地条件がよいところからになります。古い建物が立地条件がよいところ建ってことが多いのは、そのような理由があったからでした。ビンテージビル文化がうまく機能していく社会が実現したとすると、立地のよい古い建物でブラックボックス度数が高ければ、その建物は大変価値のある物件となります。新築ビルの価値、ビンテージビルの価値、価値指標は一つではなくなりそうです。

○ ジャンクとは何か
中島さんのお話しをお伺いしていて、”ジャンクオフィス”の”ジャンク”の意味がおぼろげながら分かってきました。インテリジェントビルの数学の中の空間のような”均質空間”が、人を寄せつけない、素材感もない、無味乾燥空間なのに対し、”ジャンク空間”とは、普遍性がなく、めちゃくちゃ人間くさい、手のあとがいたる所に残る、素材感あふれる、そこにしかない、であってここちのよい空間のことだったのです。
それを繊細なる感性で評価し価値を与え、文化としているのが”ニュータイプ”の皆さんではないでしょうか?
イメージを求める時代、大切なものや、価値あるものがなんなのかが自分を表すような社会になってきました。企業イメージも同様に、スタイルが企業理念と結びつくようになってきたようです。
仕事空間であるオフィス空間も、多様な個性空間へとますます進化していきそうです。

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福岡ビンテージビルカレッジ :http://www.space-r.net/bunkasai/college
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)

タイトル:「ジャンクオフィスで働こう」 ~働き方をシフトしていく古いようで新しいオフィス事例紹介~
講師: 中島ヒロシ氏(株式会社アドアルファ 代表取締役)
【略歴】
オフィスプランナーとして誰にも雇われないまま26歳で独立。会社の「当たり前」を知らないまま失敗を繰り返しながらも独自のシゴト感で32歳で法人化。お客様のオフィスづくりが自分の会社づくりに。
【活動紹介】
福岡を中心に全国のオフィスづくりのお手伝いをしています。オフィス内で起る様々なシーンを演出するべくレイアウトには並々ならぬ こだわりをもっており、今までの500社以上のレイアウトを手がけてきたノウハウを強みにICTを用いた近年の働き方とのバランスを保ちながら日々新しい ワークスタイルを研究開発しています。
また、CPM(CampanyPromotionMIX)という概念でオフィスをもっと効果的に経営に活か してもらえるような「発信」のお手伝いを「MOFF!」というWEBサイト・紙媒体をを使った広告やオフィス事例紹介としてターゲットを絞ったセミナー開 催など、現段階も 試行錯誤を繰り返しています。

主催:NPO法人 福岡ビルストック研究会/(株)スペースRデザイン/吉原住宅(有)
コーディネーター
吉原勝己氏(吉原住宅(有)代表取締役)/信濃康博(信濃設計研究所所長)
場所:山王マンション/1F

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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)
次回
第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)

こちらもご覧ください
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回 「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

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さらば三宅坂。「リベラルの聖地」解体へ・・・

1月 26th, 2013

朝日新聞電子版を見ていると次のような記事を見つけました。

『社民、さらば三宅坂 党の盛衰と共に半世紀、会館解体へ』
http://www.asahi.com/politics/update/0125/TKY201301240767.html

『社会文化会館は社会党時代から、隣接する坂の名にちなみ「三宅坂」と呼ばれていた。完成したのは自 民党本部より2年早い1964年。故江田三郎元書記長が経済界などの人脈を生かして資金を集め、完成にこぎ着けた。地上7階で、20余りの会議室、5~6 階には688人を収容できる大ホールもある。』 とのこと。

さらば三宅坂。「リベラルの聖地」解体か・・・言葉も建物も、なつかしい、古き良き時代でした。建物も、社民党も役割を終えた感じです。建物も、政党も、時代の変化の中で残していくのは大変ですね。「ビンテージビル」がまた一つ解体される・・・

■ 福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想

1月 22nd, 2013

福岡ビンテージビルカレッジ 第1回「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想

← 会場:山王マンション1F

■福岡ビンテージビルカレッジの主旨
ビンテージビルカレッジの主旨は、ビンテージという概念がまだ無い”ビル(建物)”の分野で、どのようにすれば”ビル(建物)”のビンテージ文化をつくれるのか?を、すでに社会に定着している、他分野のビンテージ文化の”感覚”を学ぶことにより、考えていこうというものです。また、産業構造の変化により、ソーシャルビジネスが広がっている中で、新しく創りだされた様々な分野のビンテージ文化が、社会性のあるビジネスと適度に結びつくことにより、持続的、安定的に社会に普及し、日常生活を支えるそれぞれの街や地区を魅力あるものへと導くような文化として成長する可能性があるのではないか?といったことも同時に考えていきたいと思っております。

福岡ビンテージビルカレッジの第1回目として、「AMP GALLERY & CAFE’・アトリエてらた」のオーナー兼デザイナー兼ミュージッシャン、または、プロの遊び人とも呼ばれる瀬下氏による、エレキギター、ジーパン、スカジャンなどのビンテージについてのお話をしていただきました。今回の「続・山王R」において、リノベーションデザイナー4人の中のお一人として一部屋のリノベーションをご担当され、デザインのみならず、セルフビルドでご自身自ら塗装をされ、部屋全体をアートで装った、カレッジでお話くださった世界観そのものであるミッドセンチェリー感=つまりビンテージ感あふれる空間を創作されております。このお部屋を意味づける大切なアイテムとして、これからお話になる、ビンテージ・エレキギター、ジーパン、スカジャンなどが、そのために意図してつくられたスペースにディスプレイされていました。

■瀬下氏のビンテージのお話
瀬下氏のお話はまずビートルズ時代のビンテージ・エレキギターから始まりました。お話をお伺いしていると、それは、エレキギターそのものだけではなく、ビートルズが活躍していた頃の”時代の息吹”や”社会の雰囲気”みたいなもの、当時の文化全体へのオマージュが基礎となっていることがわかります。

○ビンテージ・エレキギター
お好きなビートルズ時代のビンテージ・エレキギターを購入し、それを使い込んで熟成させていきます。大切に見守りながら10年程度経過した頃、表面の塗装面にピリッと”割れ”が生じてくるそうです。マニアにとってその”割れ”が何ともいえないそうで、その”割れ”を見ながらお酒を飲むのが何ともいえない至福の時間とのことです(笑)。

楽器に関しては、”音”もビンテージに含まれます。実際に、新しいエレキギターの音とビンテージ・エレキギターの音を出していただき、聞き比べをしました。古いエレキギターの音は、確かに新しいものとは異なり、マイルドでやさしい音でした。ビートルズが活躍していたころの雰囲気を出すには、当時の機器がどうしても必要とのこと。エレキギターを取り巻く周辺機器が揃うことにより、当時の”音”を再現することができるんですね。これは、楽器や服に限らず、その他のビンテージ品、もちろん”ビル(建物)”にも当てはまることといえそうです。

○ビンテージ・ジーパン、スカジャン
次に、ジーパン、スカジャンに関してです。ビンテージ文化の特徴をよく表している、おもしろいエピソードのお話がありました。価値の高いジーパンやスカジャンのビンテージコレクションを無造作に押入にしまっておいたところ、お母さんが、このボロは捨てていいのだろうということで、何着かは断りもなく捨てられてしまったそうです(笑)。マニア以外の方々には単なる小汚いボロに見えるジーパンやスカジャンですが、ビンテージ相場でいえば10万円程度するものだったとのことでした。これらは、保存の程度やダメージ具合などで、人によって評価基準が変わるようですが、そのモノ自体、そして、その状態の価値基準は、総じて共有され、評価基準に沿って実際に取り引きされているとのことです。

こういったエピソードをお聞きすると、ビンテージ文化が一般常識にとらわれることなく、”ビンテージ的目利き”ともいえる確かな”目”をお持ちの魅力ある人々により支えられ、価値を広く共有することによりビジネス的にも確立していることがわかります。
お話をお伺いしていると、ビンテージ品が存在していた当時の”時代の息吹”や”社会の雰囲気”みたいなものが、いかに大切なものであるのかがわかってきました。当時の素材、製法や工法、道具や加工機械、それらを実際に作っていた当時の職人、そして、流通を通し購入し実際に使っていた人々、その時代ならではの裏エピソードなど、当時のモノを取り巻く文化全体の物語がビンテージ品に価値を与え、支えになっているようです。そのモノを取り巻く文化全体の物語、つまり”ビンテージ的世界観”みたいなものがビンテージ品の”背景”として価値をさらに高め、人々を魅惑の世界へと誘ってゆくのだと感じました。

■ビンテージ的感覚要素
瀬下氏のお話を参考に、さらに踏み込んで、ビンテージ的感覚の要素について考えてみます。モノ(製品や建物も)は、素材(物質)、デザイン(かたち・フォルム)、機能(用途)などで構成されていますが、感性に訴えてくるビンテージ品に関しては、機能、デザインを含めたフォルムはもちろんのことですが、基本的なところで全体の質や雰囲気を決める”素材感”や”質感”、もっと突き詰めればモノが物体であることを示す”物質感”が価値におおきく影響しているように感じています。

簡単に振り返ってみると、自然界の素材のみをそのまま活用していた時代から、近代を向かえ化学的な合成技術の発達により多くの新素材が、新しい機能を持ったモノのために、めまぐるしく時代が進む中で時に流行を生みながら、新工法、新しいデザインとともに作り出されていきました。(考えてみると次々に新素材が生み出される現代は、時として素材が時代性を表すこともあります。)近代とは、人工物質・新素材時代ともいえそうです。(当然ながら、自然素材でも人々を魅了する新商品は次々に生み出されています。)

次々に生み出されいくモノの中には、人々の感性に響く、特別な輝きを発する存在感が突出したモノも生み出されました。どのようなモノでも、新素材・自然素材関わらず”物質”でできています。それを素材にデザインや機能を付加しモノ(製品や建物)になるのですが、ビンテージ的感性に響いてくる特別な存在感を示す要素として、視覚から始まり”手触り”や”耳触り”、”におい”など様々な感覚に訴える”素材感”や”質感”、さらに言えばその元となる”物質感”が大きな影響を与えているように感じられました。めまぐるしく時代が変わっていく中で、いつしかそれらのうちの幾つかは、心の琴線を揺さぶリ続けるビンテージとして残っていき、ビンテージ文化として成長、確立しています。

■背後の世界観
ジーパンに関しては、ダメージ仕上げという、真新しい素材にわざとダメージを与えて使いこんだ状態に仕上げるという加工技術もあるとのことです。一般人にとっては、新しいものに傷を付けるというちょっと心が痛む後ろめたさみたいなものがありますが、マニアの皆さんにとっては、そのダメージ感覚が大きく感性を揺さぶるようなのです。
上記の”物質感”につながりますが、もしかすると、このダメージ仕上げは、建物でいえば、最近の(特に若者たち)廃墟ブーム等に見られる、古く寂れた”はかなさ”みたいなものに心引かれる現象に関連があるかもしれません。新製品消費時代から逆行する、このようなダメージ仕上げや古着ブームから、家具、インテリア、建築に感覚が広まっていったといっても良いかもしれません。

これは、ちょっと飛躍し過ぎかもしれませんが、私が子供の頃に胸踊らせた大阪万博的”輝かしい未来”志向から、宮崎アニメの設定に見られる、”行きすぎた文明の果ての破滅(と、その後の世界)”志向へと、時代感覚が移行していった結果と見ることはできないでしょうか?未来志向の新しいモノより、朽ちてしまいそうな古いモノの奥に見隠れする”物語”に感性は揺さぶられ、引き寄せられているようです。”ビンテージ的感覚”とは、”物質感”を基礎とした古いモノ自体に魅了される感覚に加え、モノの裏に見え隠れする物語により自然に感性が刺激され、ふくらんでいく想像力により作り出された”独自のビンテージ的世界観”、その”独自のビンテージ的世界観”も含めて古いモノを楽しむ感覚のようです。

■貞國氏と青木氏のご登壇
瀬下氏のお話後半、福岡でご活躍の「スタジオアパートメントKICHI」の貞國氏と東京でご活躍の「㈱メゾン青樹」の青木氏のご登壇となりました。お二人ともにビンテージビルなど古い建物はもちろんのこと、当時の文化全体がお好きで、確かな”目”をお持ちの方々です。それぞれのお仕事内容や、瀬下さんのデザインなさったリノベーションルームの素晴らしさなどを語っていただきました。

貞國氏は、ご自身で所有運営なさっている、音楽、アート、ファッション、デザイン、パフォーマンス、建築家、漫画家など、あらゆるアーティストがジャンルの壁を越えて潜伏している、アーティストのための賃貸マンション「アパートメントKICHI」の取り組みや、古いモノの魅力などを話されました。
そして、東京からのご参加の青木氏は、ご自身で所有管理されているビンテージビルの魅力と意欲的な取り組みなどの興味深いお話や、ストレートに魅了された、瀬下氏ご担当のリノベーションルームについて、瀬下氏が意図したポイントを的確につかんだ上でのご感想を、表現豊かに話してくださりました。私には、お二人の話している姿が、先ほど瀬下氏がビンテージギターやジーパン、スカジャンを噛み締めるように楽しく語る姿と重なってみえました。
瀬下氏、貞國氏、青木氏それぞれのお話や会話のように、つまり、ビンテージ文化とは、ビンテージが好きで、その”感覚”を共有した人々による”語り”を楽しみながら、”交流”を広げていけるような文化ではないでしょうか。

■グループ討議
次に、約60名ご参加の皆様に5,6名のグループに分かれていただき、グループ討議をしていただきました。

議題は”自分の趣味について語り合うこと”です。
ビンテージ文化とは、簡単にいえば、好きなものについて価値を共有し、楽しみあうことです。これは、これからのストック時代には、最も重要なことかもしれません。右肩上がりではない、水平飛行が普通の世界で、仕事と同様に日々の生活が重要な中で、生活の糧となるような”趣味”の”有る/無し”が”幸福度”指標に大きく関わってきそうだからです。多くの若者たちが、「自分の好きなことがそのまま仕事にらないかなあー」と、淡い夢を抱いています。それは、そうなることが幸せなことであると考えているからでしょう。自分とは何かを、つまり自己の確立を、ある意味脅迫的に迫られる現在において、もっとも大きなテーマのようにも思います。そのような意味もあり、自分の内側から出てくる気持ちで成り立つ”趣味”が、もし、ビジネスと結びつくような文化が広まれば、みなさんにとって幸福で充実した生活ができる社会になるように思います。(淡い夢かもしれませんが)

グループ討議の発表では、DIYのお話や、料理づくりなどのお話が出てきました。それは、自分たちで生活を豊かにしていこう、趣味を通してつながりをもてる社会にしていこうという(その場では漠然としていましたが)意図を見出すことができます。これからの社会の方向性として、これら各個人の趣味により新しく創りだされた(例えばビンテージ)文化が社会性のあるビジネスと結びつくことにより、日々の生活を地域内で楽しみながら文化面と経済面の両面で交流していけるような社会になるのではないか?という可能性についてもこれからの課題として取り上げられました。

今まで同様、新しいモノは作り出されていくでしょうが、一方で、古いモノの価値を独自の感性で定義づけるビンテージ文化は、昭和時代ほど新品の価値が高くなく、古いモノに価値を見出せる感性を持っている人々がますます増えていくこれからのストック社会の標準的な感覚を秩序づけ表現する基礎的文化となるように思います。

■最後に
ビンテージビル文化が広まり定着することがビルストック時代には必要です。なぜなら、普通に半世紀以上、できれば一世紀近く建物を活用していくビルストック時代には、時間の経過とともに自動的に価値が減少していくような今までの一般常識とは別の論理が必要だからです。ビンテージ文化は、時間の経過のみで一律に価値が減少するようなことはありません。そのモノの”質”を”ビンテージ的目利き”ともいえる”独自の感性”で定義づけるものです。時間の経過で価値が減少する単純な反比例関係とは別の、”質”を”独自の感性”で定義づける”ビンテージ的評価基準”が一般化し、標準的な価値基準となることが、これからのビルストック時代には必要ではないでしょうか。

このようなビンテージビル文化の広がりは、建物好きな人々が増えることであり、街を好きな人々が増えることであり、なにより、そこで生活することが好きな人々が増えることです。その結果、ビンテージビル文化度の高い街は、魅力的な建物、そして、街並みが維持されることにつながり、充実した暮らしがあふれる街になることでしょう。

あまり打ち合わせもなく、行き当たりばったりで進められた第1回ビンテージカレッジ、吉原住宅(有)の吉原氏の臨機応変な進行で、なんとか終えることができました(笑)。ご参加のみなさま、発表していただきました皆様、ありがとうございました、そして、お疲れ様でした。

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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)
主催:NPO法人 福岡ビルストック研究会/(株)スペースRデザイン/吉原住宅(有)
コーディネーター:吉原勝己氏(吉原住宅(有)代表取締役)/信濃康博(信濃設計研究所所長)
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次回以降
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第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)
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生き残った 「東京駅丸の内駅舎」

1月 17th, 2013

■ 正月休みに「東京駅丸の内駅舎」を見学してきました。

私が学生だったバブルの頃、「保存か、建て替えか、論争」をしていたのを覚えています。結果、100年間生き残り、大工事により昨年新築当時の姿に生まれ変わりました。近代建築は、最長何年生き延びることができるのでしょうか?

東京駅丸の内駅舎全体を眺めるには、引きの空間が必要です。東京駅らしく駅前には十分な空間がありますが、左右地上部分に大きく飛び出した工作物があるために、駅舎全体を楽しむことができません。これらが必要なのはわかりますが、どうにかならないものでしょうか?とにかく、もったいない。
駅前広場の計画案は見たことないのですが、どのように計画が進んでいるんでしょう。

駅舎内には”東京ステーションギャラリー”があり、ここしかない荒々しい古いレンガむき出しの独特の雰囲気が好きで、よく行っていました。新しい”東京ステーションギャラリー”へはいけなかったのですが、また時間を見つけて行ってみたいと思います。

東京駅今昔物語 http://www.iza.ne.jp/event/photo/tokyosta03.html

 

 

 

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