■ 近代日本の居住空間は、何を目指してきたのか?― 01 (概観)

9月 30th, 2013

 

近代日本の居住空間は、何を目指してきたのか?

■ 画一的・均質的な標準仕様を生み出した近代日本の居住空間は、いったい何を目指してつくられてきたのでしょうか?

今 世紀初めに始まった”リノベーション現象”は、戦後60年が過ぎ、やっとやってきた日本の居住空間の”ポップカルチャー化(大衆化)現象”であり、不動産 の”大衆解放運動”ではないかと思っています。戦後60年あまり、決して崩れることのなかった超保守的な不動産業界が作り上げた、全国一律の画一的、均質 的な居住空間に、”なぜこうも日本中どこにいっても同じような居住空間ばかりなのだ。もうこれ以上耐えられない。私の居住空間がほしい!”といった一部の 人々の拒絶反応が、自由に改装ができる中古物件と結びつき”リノベーション現象”として爆発、大衆に広がり始めているのです。

そこで、まず、全国どこででも見られる画一的・均質的な標準仕様で作られた日本の居住空間は、何を克服しようとし、何を目指してつくられてきたのかを考えてみましょう。

○ 近代日本の居住空間は、近代以前の居住空間の何を克服しようとしてきたのか?

1 村→都会:封建的家族形態の克服
近 代以降、人々は、田舎から都市へ大移動し、村的”家=血縁”から離脱、近代にふさわしい自由・平等の社会で独立した都会人になることを目指してきました。 大家族は徐々に解体、核家族単位で世帯を構成、経済発展と共に個室化、住居内に一人一空間を目指して広さを求めていきました。

2 忌→快、湿式→乾式:三大水回り忌避空間の克服
水回りの居住空間化。湿式→乾式工法へ。忌避的空間を技術力により克服し、快適な居住空間化を達成。家の”主人=(家長)”が夫から妻へ。

3 自然→人工:自然素材の経年変化、傷、汚れ等の克服
自然素材から、ラッピング・コーティング・化学処理をされた工業製品へ。自然素材なら当たり前の劣化、変形を技術力により克服し、傷の付かない、劣化、変形しない材料を開発。未来志向の科学技術礼賛時代。

4 伝統・経験則→構造力学、可燃→不燃:地震・火災の克服
耐震化、不燃化の法制化により、最低限の人命確保を法的に規定。公共の福祉の増進、都市災害の低減。

5 伝統技術→組立工法、地域性・個性→標準化:住宅不足の克服
都市問題である住宅不足を、工法の合理化、標準化、工業化により克服。日本は、止まらない都市化、長期に渡る高度経済成長を経て、世界でも有数の巨大都市”東京”を作り上げました。

6 耐え難い温熱環境の克服:快適性と省エネ
水回り同様、悩まされてきたのが夏の暑さと冬の寒さです。これらを克服すべく冷暖房機器の開発、断熱性の向上に邁進してきました。機械式空調設備前提の現代建築は、環境問題とエネルギー問題をかかえ岐路に立たされています。

7 和→洋:DKによる日本の伝統的生活様式の克服。
多目的畳空間から、西洋機能主義的一空間一機能へ。西洋のライフスタイルを目指し豊かさを求めてきました。

8 家電製品の発達による家事の重労働化の克服
居住空間も、社会も、ひたすら便利さを求めていく時代。重労働であった家事から女性を解放、独立、社会進出を支えています。

そのほか、次のような変化がありました。
畳 → フローリング
座卓+座布団 → テーブル+イス
布団 → ベッド
タイル → ユニットバス、パネル
換気扇 → シロッコファン
新壁 → 大壁
漆喰・土壁・モルタル+塗装 → ビニールクロス
本物 → プリント、ラッピング、コーティング

○ 近代的ライフスタイルへの移行
近 代日本の居住空間は、モダニズムが提示した自由・平等・独立、機能性・合理性、科学的客観性重視などの考え方をもとに、ライフスタイルを西洋化させるとい う目標を掲げましたが、現実には、変わることのない日本的部分を残しながら、日本独自の居住空間をつくりあげてきました。
都市化、つまり田舎から 都会への大移動の中、封建的な血縁に基づく”家”形態からの独立、核家族化による友達のような親子関係の構築、伝統的座卓に内在する上下関係をなくしDK によるテーブル+イスのアクティブ空間の定着化、厄介者であった水回り空間の快適化、機械化による家事の低減と主婦の復権、女性の社会進出など、サラリー マン4人家族を標準モデルとした社会政策をソフトインフラとし、都市の住宅不足解消、持ち家政策推進などの住宅政策と安定した生活の安全保障ともいえる終 身雇用的企業経営のなかでライフスタイルが確立してきました。

○ 裏方(忌避)空間であった水回りの居住空間化(快適化)
日本の居住空間の近代化は、忌避空間であった水回り”キッチン”、”トイレ”、”お風呂”を技術力で克服し、快適な居住空間化することであったといっても過言ではありません。
多 湿環境の中で、維持管理に大変苦労してきた水回りを、何とか快適な空間にしたいという国民全体の希望が、”湿式工法”から”乾式工法”へ、ひたすら製品、 工法の開発を促進してきました。多湿環境の中での水回り空間の快適な空間化が国民全体の悲願であり、建築の近代化の大きな目的・目標でした。そして、それ は、80年代半ばから90年代初め以降、ようやく成し遂げられたのです。

○ 建築材料:自然素材から、人工素材、工業製品へ
地産 地消を基本に使用してきた日本建築の素材である、木や藁、紙、土などは、都市化が急激に進む中で、不燃性、耐久性、メンテナンス性、施工性にすぐれた工業 製品に取って代わっていきます。新築の建物は機能的合理性と経済性を追求し積極的にこれらの素材を利用していきました。いつしか近代の日本建築は人工素材 で囲われた画一的、均質的な空間が標準仕様として確立していました。こうして大衆居住空間は、(特に投資目的の賃貸物件は)全国どこへ行っても同じような 空間になったのです。普通のアパート・マンションも、億ションも基本的な内装仕上げ項目を比較すれば、同じ仕上げが使われています。

○ DK
昭 和51年に発明された”2DK”は、限られた面積の中で食寝分離をどうにか成し遂げようとした結果誕生しました。狭いながらもダイニングに食卓テーブルを 置き、そこでアメリカ人のように食事をし、畳の部屋のうち一部屋は居間的に利用、夜は畳敷きの二部屋に布団をひいて寝るという生活が発明されたのです。当 時最もおしゃれなあこがれの夢のライフスタイルでした。台所は南側に設置され、裏方だった家事は家の中心的場所となり、徐々に家庭の中心は主婦になってい きました。
LDKは全国の都市住宅に浸透し、日本の当たり前な標準的間取りとなりました。

○ 耐震化、不燃化
1923 年9月1日、関東大震災。地震と火災による甚大なる被害をうけ、耐震化と不燃化なくして日本の都市建築は成り立たないことが判明しました。それ以降我々 は、地震、火災からいかに人命を守るのかを追求し続けています。その対策として有効に活用されたのが近代の三大素材、”鉄”、”ガラス”、”コンクリー ト”です。これらの新素材が新たな居住空間を形成し始めます。
急激な都市化とともに、地震による倒壊防止と火災の延焼防止のため、近代の三大素材 による建築の耐震化と不燃化が最優先政策として推し進められました。しかし、不燃化は日本の歴史・建築文化そのものである燃えやすい自然素材の否定につな がりました。また、自然素材の経年劣化、傷、汚れ、変形は、機能性、合理的観点から否定され、いつしか都市の居住空間から自然素材が消えていきました。し かし、日本人が持っている自然素材への憧れは消えることなく、絶え間なき努力による技術開発により、本物そっくりの、不燃化、高耐久の機能性に優れた人工 的工業製品が開発されています。

○ 標準化、組立工法
都市住居は急激な都市化による住宅不足により、建設工法の合理化と、間取り、素材、設備機器等、仕様の標準化を余儀なくされました。
昭和時代の都市問題であった慢性的住宅不足により、供給側、貸し手側(投資家側)有利の市場が戦後60年以上続き、全国一律の画一的間取り、均質的標準仕様の住宅が都市に大量に供給されていきました。

○ まとめ
近代以降、バブル崩壊までの昭和時代の日本は、ひたすら欧米に負けないような欧米風の近代国家にふさわしい、そして、世界第2位の経済大国にふさわしい、豊かなライフスタイルを演じられる居住空間を目指してきました。
上記のことをまとめると、近代日本の居住空間は、総じて次の三点を目指して作られてきたといっていいのではないでしょうか。

1,米型ライフスタイル
2,快適性と安全性
3,広さ

1,米型ライフスタイル
米 型ライフスタイルは、戦中悪用された過去の日本的なものと決別し、モダニズムを基礎とした、新しい国を創ってゆくという目的のため取り入れられた、お手本 となるあこがれのスタイルでした。いつしか米型ライフスタイルに追いつくことが国民の目標となり、豊かさ、幸せの価値基準となりました。
悪用された日本文化は、本来すばらしいものであったとしても、トラウマ的なものとなってしまい、忘れたい、距離をおきたいという希望もあり、悪しきもの、前近代的なもの、封建的なもの、反民主的なもの・・・として遠ざけられてしまいました。

2,快適性と安全性
耐震性・耐火性は大前提として必須事項であり、三大水回りの快適な居住空間化と暑さ寒さの克服は日本人の悲願でした。(もう昔にはなかなか戻れませんね)

3,広さ
住宅不足は慢性的都市問題した。経済大国になったにも関わらず、ウサギ小屋と揶揄された日本の居住空間でしたが、徐々に居住面積は広がり、一人一空間とれるだけの広さを獲得しました。
今では、必要以上の無駄な広さを求めるようなことも少なくなってきました。

○80 年代中から90年代初頃、国民全体の悲願であった水回りを居住空間に取り込むことに成功し、大衆居住空間の近代化は成し遂げられました。経済力も世界1位 となり、多くの人々が欲しい物を手に入れました。一人に一空間が割り当てられ、欧米のドラマを見てもスタイルの違いを感じるだけで生活水準的なうらやまし さはなくなりました。

21世紀に入り、気付いてみると”床”は余っていました。都市問題であった住宅不足は”床”面積だけをみれば、解決 されていたのです。住宅不足解消、それは人口減少時代に突入したことでもあります。有り余る老朽化した建物(外部不経済物件)をどうしてゆくのかなど、新 たな問題が顕在化してきています。

一方、時代の転換期を向かえ、不動産がやっと大衆に開放された日本。”次の時代”へ向けて、バブル崩壊 までの昭和的価値が過去の昔ばなしの一つでしかない若者たち主導の新しいムーブメントが全国各地で起こり始めています。まるで、日々が非日常的であった異 常な時代”昭和”から、日本人本来の日常生活を取り戻すように・・・。

 

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その他のコラムもご覧ください。
→ nano Architects : コラム

 

なぜ彼らはこのような映画をつくりあげたのか・・・驚愕のモノクロ映画、三本

9月 8th, 2013

02年前・2011年 : “ニーチェの馬” : タル・ベーラ : ハンガリー

53年前・1960年 : “裸の島” : 新藤兼人 : 日本

88年前・1925年: “戦艦ポチョムキン” : セルゲイ・エイゼンシュテイン : ソビエト

心配になるほど長・・・い ワンカット。こんな長回し映画がありえるのかというような”ニーチェの馬”。
それに対して、短い細切れのカットをリズミカルにつないでゆく”裸の島”。
対極にある表現手法でつくられた二本のモノクロ映画。

共通点は、言葉(セリフ)が異常に少ない。”ニーチェの馬”は中盤から後半にかけて、効果的に印象的な言葉があるのだが、”裸の島”は、全くなかった!背景には過酷な自然を表現する曲が環境音楽のように連続して響いているだけ。

次の共通点は、かこくな自然と家族。”ニーチェの馬”は、いつ止むとも知れぬ激しい風が吹き荒れる石造りの母屋に暮らす貧しい親子。”裸の島”は、瀬戸内海の電気・ガス・水道がない周囲約500メートルの小島(広島県三原市にある宿彌島(すくねじま))の高台、木造の掘っ立て小屋に住む貧しい家族4人(夫婦と男の子2人)。乾いた土の畑に隣島より桶に入れて櫓漕ぎ舟で運んだ水を、島の急斜面を天秤棒を担いで運び上げるという過酷な自然の中で暮らしているのだ。

しかし、描いている自然の意味、家族像は表現同様対極的。タル・ベーラ監督は終末的黙示録を描いているが、新藤兼人監督は過酷な自然の中、貧しいながらもひたむきに生きる家族の姿を愛情を持って描いている。

そして、この対極にある表現と意味、共通点ももった二本の映画の源流、それが ”戦艦ポチョムキン”。88年前に作られたとは思えないモンタージュ手法を確立したサイレント映画。

これを源流に、53年前につくられた”裸の島”。2年前につくられた”ニーチェの馬”。この三本のモノクロ映画は、年代、手法、目的は違えども、余計な装飾を削り去ったむき出しの表現により、自然とはなにか、人(生きる)とはなにか、社会とは何か、を突きつける映画だった。

“ニーチェの馬”:2011年・第61回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員特別賞)
“裸の島”:1961年・モスクワ国際映画祭グランプリ
“戦艦ポチョムキン”

■福岡ビンテージビルカレッジ/第4回 「京都のビンテージが生みだす都市再生」 ― ご報告と私の感想

4月 15th, 2013

福岡ビンテージビルカレッジ
第4回 「京都のビンテージが生みだす都市再生」 ― ご報告と私の感想

タイトル : 「都市居住推進研究会のチャレンジ!」
~京都の不動産事業者・建築士・研究者・行政関係者がタッグを組んで、住まい・まちづくりの難題に取り組んでいます~
講師 : 大島祥子氏(都市居住推進研究会 事務局/スーク創生事務所 代表)

■ はじめに

今回講師としてご講演いただきました大島さんは、ご自分を”雑食系コーディネーター”と表現されていました。
グローバル化という偏西風が常に吹きあれるようになってしまった世界で、日々の微風、強風に舵を取り、時々訪れる台風におびえ、低空飛行をなんとか維持する状態の日本。ソフトデザイン優位のストック時代に突入し、先が見えない不安定で流動化する社会。このような社会で有効な戦術とは”正規軍の戦い方”ではなく”ゲリラ戦”である、といわれるようになりました。今回のご講演は、まさに、雑食系コーディネーターがしかける緻密な計画に基づいた、多分野の能力者によるゲリラ戦術が世の中を変革していっている!といった印象をうける刺激的な内容のお話となりました。

1時間という限られた時間の中で、多岐多数にわたるプロジェクトをご紹介くださりました。どのプロジェクトも、それぞれじっくり時間をかけてお聞きしたい意義深い内容でしたが、時間の関係上、概要の説明のみのプロジェクトも多々ありました。内容を把握し理解するといったことは私の許容範囲を大きく超えており無理なのがすぐわかりましたので、スポット的に飛び出してきた、キーワードやプロジェクターの要約やまとめなど、なんとか書き留めることができたものを手がかりに、勉強させていただいたこと、想像をふくらませ考えたこと、などについて書かせていただきます。

■ ご講演内容を自分なりに次のように整理させていただきました。

千数百年以上の歴史のある、世界でも有数なビンテージ都市「京都」における、雑食系コーディネーターが要となった最強チーム体制による超実践的まちづくり戦術と、現時点までの実績・変革内容について。

1,ものづくりの主役(要)は誰か?
2,有効な戦術は何か?
3,何を変える=リノベーションするのか?
・3-1,「法」
・3-2,「住文化」
・3-3,「夢」

● 1,ものづくりの主役(要)は誰か? 大転換期、要となる主役は入れ代わった

・ 架橋型社会関係資本家 →  スーク アラビア語で”市場”

大島さんの事務所名称”スーク”とは、アラビア語で”市場”という意味とのことです。お話をお伺いしていくに従い、大島さんは、”スーク=市場”という名にふさわしい、社会関係資本家であることがわかってきました。

企業と住民の間に入り、板ばさみの中で活路を見いだしたり、専門分野にこもりがちな敬遠気味の業界内異業種に橋を架けたり、自然には交わることのない、研究機関、民間企業、行政機関、地域住民などの実質的責任者をつなげ、まとめることができる希有な存在の大島さんこそ、架橋型社会関係資本家そのものであるのではないかと思いました。組織・システムをつくるには、必ず必要な能力者であるといってまちがいありません。

既に、一人のカリスマ性のある人物による全体計画提示のトップダウン的なハード優位社会は終わったようです。これからは、住民を巻き込んだ専門家チーム体制によるソフトデザインの提示、実践が標準化していく時代であり、それらを束ねる”要”となるのが”コーディネーター”であり、このコーディネーターにこそ大島さんのようなカリスマ性が必要であることを認識させられました。

ストック時代は、”コンクリートから人へ”という言葉が示すように、ハードデザイン優位社会からソフトデザイン優位社会への転換を示していると思います。街に対して仕事をしていくには、実質的な責任を持っている産・学・官・民などの各担当者と各分野の専門家の協力が必要となってきます。これらをつなぎ、まとめ、実践している”コーディネーター”の大島さんは、これからの日本でもっとも必要な財産=資本となる”人材のネットワーク”を数多くお持ちである社会関係資本家です。街に関わる(たぶんあらゆる分野の)ソフトデザインを実践するには、実力ある架橋型社会関係資本家の能力が成否の鍵を握っているようです。

● 2,有効な戦術は何か?  「コラボレーション戦術」「ゲリラ戦術」

・ 最強のチーム体制の構築 → 「都市住居推進研究会」= 「都住研」
・ 社会のソフトインフラ=OSを変革し、時代の道筋をつける新システムを構築するための「コラボレーション戦術」

京都は、長きにわたる日本の首都として、有形無形かかわらず無数のストックが蓄積し続けている、世界でも有数な歴史・文化都市です。近代以降も日本を代表する大企業も多数あり、大学など教育機関に通う学生数も多く、今を生きる都市でもあります。
時代の変わり目に新しいシステム=新OSを幾度も作り上げ、無数のストックが混在している”京都”に、近代日本のソフトインフラ=OSともいえる”法律”をリノベーションしてしまうという超実行力をお持ちの最強チームが存在していました。それが「都市居住推進研究会」=「都住研」だったのです。

最強チーム「都住研」の特徴

1,「研究者(都住研)+事業者+行政」の距離が近くフラットな関係を実現。
2,「宅建業者+研究者+建築士」という希有なコラボレーションチーム体制の実現。

このような理想を目標に活動しているのではなく、すでに実現し、成果を上げている都住研は、理想的な最強のチーム体制による、超実践システムでした。これは、まねしようと思ってもまねできないチーム体制、システムです。京都DNAを引き継いでいるこの最強チームが次々と先進的な試みを実践していました。すごい!

このような超実践能力を持ったコラボレーションチーム体制をつくり、機能させ、維持していくための要素。

・ 自社の利益を超越しても取り組みたい社会的意義のある高い目的
・ 各方面の実質的責任者・組織を取り込んだ即実践可能なシステム
・ 一社ではできないが数社集まれば実現可能なネットワーク
・ 組織内を活性化させる競争原理の導入
など

未来を見据えた社会的意義のある高い目的を設定したアプリケーションソフトともいえる汎用的実践システム”モデルプロジェクト”を実行することに加え、基本ソフト=OSともいえる”法”をも変更させる強大な力をお持ちでした。

● 3,何を変えるのか? 「法」「住文化」「夢」

3-1,「法」のリノベーション 都住研「第一次~第三次提言」

・ 昭和モダニズム時代からストック時代に対応した”法の精神”へリノベーション
・ “既存不適格的排除の論理”を排除するとき

○ 既存不適格という概念
“建築基準法”は、近代の急激な都市化に対応した法律ですので、モダニズム精神をもとに構成されています。地震や火事等の災害からから住民を守る耐震化・不燃化と、ゾーニングと建築制限等によるまち全体として秩序ある発展、などを目的とした集団規定と、都市の中で文化的な生活ができる最低限の住環境の確保や、周りに悪影響を与えない程度の環境保全を規定した単体規定の2本柱で構成される法律です。基本的に全国一律の規定で、歴史的建造物を含めたすべての建築物に適応という問題の多い、未だ発展途上の法律です。

右肩上がりの進歩史観、スクラップ&ビルドが前提の考え方であるため、現行法文と合わないところを”既存不適格”という社会の外側に追いやるような考え方で構成されています。そのため、見放された、おいてきぼりの、塩漬け空間、(道、敷地、建物、住民など)、が日本中にあふれています。昭和モダニズム時代からストック時代へ移行してしまった日本。今までのような外に追いやる排除の論理だけでは、成り立たなくなってきています。

このような状況の中で、都住研のみなさまの試みにより新しい法律ができました。まさに、法のリノベーション。時代の変化に合わせ、これからの未来を見据えた方向性を指し示すような法ができたことにより、排除の論理で外側に追いやった一部の既存不適格地帯を法の内側へと囲い込むことに成功しています。

ストック時代、人口減少時代、床余り状態の中で、もし本当に、既存不適格地帯を法の内側へ囲い込み、どうにかしようと考えているなら、既存不適格地帯の再生プランを提示・確立し、積極的に推進していく必要があります。”既存不適格的排除の論理”を排除し前向きのプラン提示の必要性を感じました。とはいうものの、具体的にどう改正したらよいのか、難しくてわたしにはよくわかりません。次にその答えの一例をみてみましょう。

○ 既存不適格をふくめ、建築基準法をどうするべきなのか?
都住研のみなさまのご提言が、その答えの一つです。これらの内容は大変勉強になります。

都住研提言 法のリノベーション

狭隘道路、袋小路関連の既存不適格地域の現実的社会復帰政策
・ 第一次提言:袋小路・二項道路小委員会提言
・ 連坦建築設計制度

これらのご提言は、塩漬け状態の既存不適格地帯を現実的対応で再生可能にするご提言で、すでに法案化され、再生された事例もあります。

このように、不動産を、”個人所有の個別的視点”から、”国富として地域的な多角的視点”に転換し、面的視点での開発、地域特性に合わせた法適用の容認、生活・防災視点の構造指定、住民参加システムの確立など、社会の外に追いやるような印象の既存不適格地域を取り込んだ、ストック時代を見据えた現実的対応ができる法律に改正することが必要であることがわかりました。
(一般の方にはわけのわからない”建築”と”消防”の各法律を、ストック時代に対応した、分かりやすい現実的な内容の法規に変えることができると良いのでしょうが・・・)

このような法改正に加え、既存不適格という状態ならではの価値を活用した再生プロジェクトも実際に取り組まれていました。お時間の関係上ご紹介のみになってしまいましたが、全国の同様な場所で応用できるこれらの事例のお話を、もう少し詳しくお聞きしたかったです。

3-2,住文化のリノベーション → ストック時代の住まい方

3-2-1、コンペによる住文化の提示

○ 「京都まちなかこだわり住宅コンペ」 これまでの近代史観のリノベーション

コンペのテーマを見ると、これからの日本の住文化の方向性が見えてきます。

テーマ
1,京都らしさ
2,地産地消
3,地域産業連関
を備えた住文化の創設

○ コンペのテーマは全て、機能主義、合理主義、経済原理など、昭和モダニズム時代では良いこととされてきた考え方を、足元の日本の、そして京都の文化を見直し、近代システムの中で再構築していく試みのように感じました。目的を達成し役割を終えようとしている昭和モダニズム時代の考え方を、ストック時代の日本の京都らしい考え方に修正し、近代以降の本当の日本の住文化を作り上げようというこれからの日本が目指すべき方向性が提示されています。

巻き込まれていくグローバル化と、高度な情報化。偏西風や台風のように、国境線など関係なく渦中に巻き込まれていきます。対して、境界内の利益・文化を優先させ守る事を是とするローカリズム。果たして、敵対関係にありそうな二つの考え方は、深刻な対立なき共存ができるのでしょうか?

3-2-2、企業コラボによる再生システムの構築

京都では、まちが新陳代謝するかように、ストックを活かした数々の再生事業が行われています。

○ リ・ストック住宅「ハチセ」
ストックされた町屋を、現在の住宅標準スペックにリノベーションし、販売するシステム。
町家の良さを残しつつ現在の住宅標準スペックを満たしているので快適な暮らしができますね。

○ 堀川団地 築61年 同潤会では果たせなかった夢のチャレンジ
再現不可能性という価値を活かしつつ、現代によみがえらせる先進的なプロジェクト。
民間売却はしない、敷地を分離させないなど、多くの課題を乗り越えるべく、新たな試みにチャレンジしているようです。プロジェクトが基本コンセプトにそって進むことを願っています。

3-2-3、まちのビンテージ

すでに、住居の大量供給時代を終え、”床”が余りはじめた中で、落ち着いたまちづくりができるはずです。そう、たとえば、違いがわかる人々が住みたくなるまち、”ビンテージなまち”。それを実現するために必要なヒントを、大島さんよりご提示いただきました。

○ まちのビンテージに必要なストック要素と住民の気持ち
これらがストックされている「マチ」には潜在能力があります。

・  「モノ」「ヒト」「物語」+愛着度がます住民密着参加型システム

土地所有者がそのまちの住民なのか、現住民がそのまちとどのような関わりがあるのか、などで愛着度が変わってくるようです。ビンテージ文化には、愛着度指標がなにより重要です。そのまちに愛着がない土地所有者や住民が多ければ、ビンテージなまちになるのは難しいかもしれません。いかに住民のみなさまのまちに対する愛着度を高水準に保てるのかがカギかもしれません。

○ ストックを活かしたまちづくりの特徴

1,環境への負荷低減
2,地域の景観の保全
3,地域の住文化の継承と発展
4,住みごたえのある住環境
5,個性 (差別化)のあふれる地域性

ストックを活かしたまちづくりとは、建物だけではなく、景観やそのまち特有の個性など建物を取り巻く住環境全体のことであるというご指摘です。こんなまちがあったら住んでみたいと思いませんか?これからのまちづくりとはストック文化を確立することです。これらが確立すればビンテージなまちとなるのではないでしょうか。

○ これからのまちづくりに有効な「ゲリラ戦術」

・ 大規模開発から → 小規模地域再生開発へ
・ 奇特な取り組み → ビジネスへ
・ 用途変更 → 社会の変化に対応
・ 用途コラボ
・ 戦略的リノベーション
・ 既存不適格ならではの利点(高付加価値化)
など

このお話もご紹介のみになってしまいました。実践されている「ゲリラ戦術」、興味深いですね。機会がありましたら勉強させていただきたい内容です。

3-2-4、地域ブランドの成立過程とモデル化

○ 京都町屋再生による地域ブランドの成立過程

京都の町屋ストックの状況ですが、”蛤御問の変”での大火後にできた町屋が、一部を除き震災を免れ残っているとのことです。これらの貴重な財産を活かしたまちづくりも積極的に行われているようです。そこには、まちの新陳代謝サイクルのようなモデルが見えてきました。

古いがゆえに新しいさを感じさせる町屋。老朽物件であるがゆえに格安。チャレンジ精神を持った方々が住み始めいつしかそれらが集積してくると、認知度が上がり、家賃が徐々に高くなり、ブランド力もついてくる。すると、その地域が別のステージへとバージョンアップするという現象がおきているとのこと。これは、どこででもありえる共通の現象であり、ステージが上がった段階での対処いかんで、その地域の行く末が変わっていくようです。どこを目指していくのか未来を見据えた対応が必要のようです。

○ 町内レベルの街の発展から停滞、衰退のモデル
町内レベルの街の発展は、福岡でも京都でも、下記のような経緯で発展から停滞までのモデル化が可能なようです。

価値が認められていない地帯→まちづくり・リノベ等手を入れると価値が出てくる→人が群がる→価値高騰→投機マネー過剰流入→崩壊→瀕死状態→価値下落

投機マネー過剰流入を防ぎながら、節度ある継続的発展がいかにできるかが課題。
福岡では、”親不孝通り”地区の発展と衰退、”大名”地区の発展と衰退の経緯が、わかりやすい実例となっています。まちの発展から停滞モデルを計画的に循環させることによって、20から30年サイクルのまちの新陳代謝モデルができるかもしれません。

3-2-5、問題点

○ “空き家”対策 → 日本全体の社会的大問題
京都でもすでに”空き屋”問題が出てきているようです。
“空き家”の発生要因を詳細に研究なさっていました。

“空き屋”の分析により、次のような”空き家”対策のキーワードのご呈示がありました。もう少しお聞きしたかったですね。

・ 人口、流通、再生 でまちの新陳代謝は促進され、よみがえる。

3-2-6、ストック時代を向かえた近代以降の日本の住文化

京都では、同潤会アパートと同時期に完成し、未だに住民の生活が生きている”堀川団地”があり、再生/再開発計画が進んでいました。

昭和の初めから、徐々に変化してきたライフスタイル。だいたい1980年代中頃には近代以降日本人が目指してきた住環境、そして、ライフスタイルが確立・完成したといってよいのではないでしょうか。堀川団地の写真を見ると、今では想像もつかない”生活”が見えてきます。多くの人々の絶え間ない努力により、現在の快適な住環境が確立・完成できたことを思い知らされます。
この確立した住環境とライフスタイルを基準として、ストック時代の新旧織り混ざったまちで、近代以降の持続可能なあるべき日本の住文化を考えていく時期に来ていると思っています。大島さんが関われられているの数多くのプロジェクトを見させていただきますと、その向かうべき方向性が的確に提示されています。

3ー3,「都住研」による、”夢”のリノベーション
都住研「第4次提言」

私が学生だった頃と、今は、世の中が変わってしまいました。学生時代抱いていた都市そして建築界への”夢”は、90年代半ばで役割を終え、ノスタルジックな物語となってしまいました。
ストック時代を生きる未来の日本の姿を的確に掴んでらっしゃる都住研の皆さんは、”夢”のリノベーションを行い、若い方にも希望をもてる新しい時代の”夢”をご提言、発表していらっしゃいます。

○ 京都の未来都市の姿 → ”夢”

・  個性のあるまち
・  職住共存のまち
・  地域資源のネットワークによる回遊性のあるまち
・  京都市民と内外観光客が交流するまち
・  誰もが歩きたくなる京都(みやこ)

これが実現したら、なんと魅力的なまちになることでしょう!この、ご提言には夢があります。輝く未来都市が夢だった世代にはわからないかもしれませんが、これが、近代以降の日本の京都における本当のまちの姿であり、これが、これからの時代の実現可能な”夢”なのです。

■ 終わりに:OSリノベーション

・ 都市・建築・不動産分野のOSリノベーションは、千数百年間幾たびも新しいOSを創造してきた京都から始まっていました。

ビンテージビルカレッジは、スクラップ&ビルドが当然だった右肩上がりの時代が終わり、ストック時代の水平低空飛行の時代へ転換した今の日本では、有り余るビルを寿命まで有効活用することが必要である。そのためには、ビルにも価値と時間の反比例的な単純な価値基準だけではなく、”ビンテージ文化的視点”による評価基準が必要なのではないかということから始まりました。

どうも、ソフトインフラといわれるあらゆるシステムが、資本主義経済の前提条件のように無限に発展していくような幻想の上、右肩上がりの成長・発展を前提に作られているようです。
建築基準法もそうで、未開人のような前近代の人々の営みを否定し、古い建物に変わり近代建築が建ち並ぶ近代都市への更新がみんなの創意であり、そうあるべきだという精神で構築されてきました。法で規定した内側では、合理的に機能しましたが、排除の論理で外側に追いやった部分では、なかなか事は進みませんでした。生活空間とは、想像以上に前近代的であり、非合理的であり、非機能的であるものです。他人には過酷で絶対生活できないと思われる環境でも、実に多くの人々が生活しています。

そのような、常識外、想定外、法規外の部分をどうしていくのか?が問題となっています。もう既に、建築基準法の外だから相手にしないという排除の論理でのみ対応する時代は終わりました。消防のように、現実的対応をしないと成り立たない時がきているようです。

都住研のみなさまのお仕事は、現状を的確に分析し、現実的実践的視点で、迅速かつ合法的に進めていこうとする、革新的な試みだったのです。

*都住研さんのご提言にご興味のある方は、ホームページをご覧ください。
都市居住推進研究会 http://www.tjk-net.com/

*リノベーションとは、永久発展前提の近代史観を修正し、近代以前の営みを振り返り、安定的・持続的なアフターモダンの新世界観をつくること。

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第2部

■ コーディネーター大島さんによる三つの質問と、パネリスト4名のみなさんによる”答え”コーナー

他のパネリストの方のご意見に耳を傾ける余裕がありませんでしたので、私の意見のみです。また、今回のレポート作成に当たり、会場で発表した答えをもとに、新たに考え直し、大幅に加筆、修正しています。

設問1,高経年物件ビンテージの何がよいか?
私の答え:「なんじゃこりゃ」

高経年物件は、いくつかの魅力があります。その魅力は各物件異なりますが、いくつかの視点を持つことにより高経年物件を楽しく見ることができます。その魅力をまとめてみました。

1,考古学者の視点 探検、発見、推察、調査

30年以上経つ物件に入ってみると、時々「なんじゃこりゃ」と叫びたくなるような得体の知れないものに出会うことがあります。それらに出会ったとき、果たして、この”痕跡”は何なのか? 考古学者の気分でいろいろ推察してみると楽しいものです。

・ 風習の痕跡
・ 生活の痕跡
・ 設備機器更新の痕跡
・ 補修の痕跡
・ 改装の痕跡
など、生活の跡の残る空間は魅力的です。

2,技術者の視点 技術発展の歴史
高経年物件は、当然ながら建設当時の技術を利用し作られています。技術は進歩し、生活水準は上がり、ライフスタイルは変わっていきます。右肩上がりの時代はバージョンアップが前提の時代です。昔の技術に次々と新たな技術を付加して生活水準に合わせようとしていますが、元々昔の生活水準、技術でできていますので、往々にして無理な状態での改修となります。その結果、露出した配管、給湯器、電線管等、むき出しの”技術”が部屋の中に現れます。

昭和のライフスタイルは、特に水回り空間の技術発展と同期的にバージョンアップしていっていますので、水回りの状況を見るとだいたいの年代がわかります。また、建物の外観や内装を見ても、建築材料、製品、仕上げ素材など、年代によって移り変わっていきますので、水回り同様だいたいの年代が推察できます。

3,暮らし・風習風俗の視点 くらしの移り変わりの歴史
建物は、その時代の暮らし、習慣、世相、社会、風俗などをもとに設計デザイン建設されます。日々の暮らしの中では、連続した時間の中にいるので、なかなか実感しないのですが、高経年物件に突然出会うと、連続性がない過去が突然目の前に現れるため、何でこのような作りになっているのかわからないことも多々あります。後日調べてみて、こういった暮らし方をしていたからこのような作りになっていたのか・・・ということもよくあります。

4,デザイナーの視点 様式 デザイン 流行の歴史
デザイン、様式は、ファッション同様流行がありますので、その時代のデザインを素直に取り入れた物件を見ると時代の息吹、懐かしさを感じ、時間の流れを実感することができます。
最近まで都市化による住居不足が最大の都市問題でした。そこで、迅速に大量に住居を供給するために、「標準設計」が取り入れられ、全国一律の似たような建物が大量に供給されました。その結果、その時代共通の雰囲気というものがみてとれる建物が数多く見られます。その中でも、それぞれの建物の個性があり、”時代性+個性”を考えながら鑑賞するのも高経年物件を見るときの楽しみです。

5,アートの視点 オーラ 存在感、物質観
高経年物件の最大の魅力、といってもよいかもしれません。それは、古いモノしか発することのできない”物質感”です。古いモノをなぜ”古い”と感じるのか、それは、物質の物理的、科学的、人為的経年変化によるオーラともいうべき雰囲気を、繊細なる感性で感じとっているからです。ツルツル、テカテカ的な新築では、物質観を消し去る方向で施工されることが多いので、新/旧の違いが鮮明に出てきます。時間が経つこと等による物質の劣化=経年変化が、時にアーティストとなり、物質感あふれるアート空間を作ることがあります。

想像力を喚起する雰囲気のなかで、見えないものを感じとる繊細なる感性の習得。それが高経年物件の魅力を楽しむ秘訣です。

設問2,福岡と京都のリノベーションの違い
共通点、創意工夫点

私の答え:「価値 時間」

実は、どちらの都市についてもあまり知識がありませんので、印象論でお答えしております。
二つの都市は、時間=歴史の価値の捉え方が異なるようです。

○ 環境
・ 京都:環境は福岡より厳しい
・ 福岡:環境は京都より穏やか
建物内の温熱環境水準をどうするのかで、大きくリノベーション内容や工事費が変わってきます。

○ リノベーション
・ 京都:世界の歴史を背負う”歴史を生きる京都”。伝統をふまえ活かしたうえのリノベーション
・ 福岡:豊かな土地ならではの”現代を生きる歴史都市福岡”。現状の流行、”今”スタイルのリノベーション

伝統的な町屋には、環境に適した住まい方が確立しており、それを基礎としたリノベーション手法が有効です。(伝統復活型リノベ)
近代建築のリノベーションでは、伝統というより、今、これから先をどのように作っていくのかというところがテーマになっていることが多いように感じます。(ファッション型リノベ)

住居が既に余っているのはどちらも同様です。既に全国的問題。

○ 十数年福岡に暮らしてみての私の感想です。
福岡は、ないものを探すほうが難しいといってもよいような、何でもある豊かな土地です。福岡で発祥したものがたくさんありすぎて、特に騒ぎ立てることもないという贅沢な面もあります(笑)。環境面でも豊かで暮らしやすい土地です。ソフトコンテンツも新旧どちらも豊富で、大変活動的なまちです。中心街は、コンパクトシティという名にふさわしく、自転車や徒歩でも充分楽しめます。(”福博”という言葉が表すように、中心部は二つの地区、福岡地区と博多地区で構成されています。これがわからないと福岡の姿は見えてきません。)
これらの印象から『豊かな土地ならではの”今を生きる歴史都市福岡”』とお答えしました。

設問3,「住まい方の自由」で何が可能になるのか
私の答え:自分の居場所

自分が自分でいることのできる自分の居場所。
世帯内人数が減り続ける中、社会システムを家族から個人単位にしていかないと、様々な点で矛盾が出てくるようになってきました。流動化する社会で自分を確立し自分を保持していくのは大変です。リスクヘッジとして自分の居場所をできれば複数確保しておく時代かもしれません。(複数の自分) 自分が自分でいることのできる自分の居場所の有無が日々の幸福度を決めるような人々も多いように思います。住まい方が自由になることにより、自分が自分でいることのできる居住空間を、少なくとも一つ確保することが可能になる時代がくるのではないかと思っています。

○ これからは、仕事の変更や家族構成の変化などによるライフスタイルの変化に無理なく対応した住み替えや、個人の感性に立脚した個性的ライフスタイルに対応した居住空間など、有り余る”箱”を有効活用した自由な住まい方が標準となるのではないでしょうか?

1,仕事の変化→流動化への対応
2,心の変化→ファッション的住み変え
3,家族の変化→身内の状況変化に対応

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第 1回目が”衣”、第2回目が”働”、第3回目が”食”、今回の第4回目が”街”でした。”住”空間を取り巻くこれらの生活空間を、新時代にあった新しいライフスタイルにどのようにリノベーションさせてゆくのか?大きなヒントが得られた意義深いお話となりました。
まとめのご報告は次回(いつになるでしょう・・・)

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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)終了
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)終了
第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)終了
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)終了

こちらもご覧ください
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回 「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

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■「まともがわからない」x「絶望の国の幸福な若者たち」

3月 29th, 2013

本の中に 『一億総若者化時代』 という身にしみるような記述がありました。
『僕たちが今生きているのは、一億総若者化の時代だ。・・・・今後ますます多くの若者が「正社員」や「専業主婦」という既存の社会が前提とした「大人」になれないのだとしたら、彼らは年齢に関係なく「若者」で居続けるしかない。
まさに僕たちは、日本中の人々が年齢に関係なく「若者」化する時代、その過渡期にいる。』

「まほろ駅前番外地」が、今日、最終回をむかえます。この番組を見て共感している(私も含め)多くの若者たちは20年後、30年後も「若者」のままでいるかもしれませんね。

■ ”僕は君たちに武器を配りたい”を僕は君たちに配りたい

3月 22nd, 2013

■ 非常勤講師をさせて頂いる中で、この時期、卒業生諸君を送り出すにあたり、これからの社会でどのような能力が必要なのかを、自分なりにお伝えしていますが、なかなかうまくいっていません。そこで、この本のご紹介。

■ 僕は君たちに武器を配りたい 著:瀧本哲史さん 講談社

私には配れるような武器がないので、”僕は君たちに武器を配りたい”を僕は君たちに配りたい

○ 「ゲリラ戦」

『はじめに』でこう書かれています。

『本書は、これから社会に旅立つ、あるいは旅立ったばかりの若者が、非情で残酷な日本社会を生き抜くための、「ゲリラ戦」のすすめである。』

建築やデザインを学校で学び、就活をしたことのある方々で、なかには辛い思いをしたこともある方もおいでになるかと思いますが、伝統的に村社会的慣習が残るこの業界は、特に新卒には大変厳しい状況のようです。
この業界だけだと思ってきましたが、景気低迷の日本では、どうも一般社会も同じような状況になってきたようです。

いくつか刺激的な文章を抜き出してみましょう。

このような社会を生き抜くための「武器」を手渡したい。

なすべきことは、このような厳しい世の中でもしたたかに生き残り、自ら新しい「希望」をつくりだすことである。

「資本主義2.0」ともいうべき新しい資本主義の流れ  

「投資家的に生きる知恵」

「投機」ではなく「投資」の考え方を身につけ、「投機家」ではなく「投資家」になること。

資本主義の本質を理解すること。刻々と変わる情報を察知して、インプットを変えることで、アウトプットである自分自身の行動を具体的に変えること。

先が見えないときこそ必要なのは、正規軍の戦い方ではなく、状況に応じて臨機応変に戦術を変える、「ゲリラ戦」の戦い方なのである。

 

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僕は君たちに武器を配りたい
著者:瀧本 哲史さん
出版社:講談社 (2011/9/22)

武器としての決断思考 (星海社新書)  瀧本 哲史 新書  もおすすめです。

 

 

■ 学生のみなさんの作品評価基準について

3月 18th, 2013

福岡デザイン専門学校、1年生の自主研究発表会に参加させて頂きました。

毎年、この時期、3年連続で1年生の作品講評会と、1年後の成長した2年生の卒業制作展に参加させていただいております。この2年間の学生たちの成長を見続けている中で、1年生の作品のどこをみて、何を、どのように評価すればよいのかを(この時期だけですが(笑))考えています。じっくり考えてみれば作品評価には様々な視点が考えられ、なかなか評価基準が定まりません。

右肩上がりのまだみんなの目標がはっきりしていたメインカルチャー主体のモダニズムの時代から、低空水平飛行の個人の感性に立脚したサブカルチャー主体のリ・イマジネーションの世界に移行した日本で、私が20年以上前の学生時代に学んだ評価基準で今の学生の作品を評価することに私は違和感を感じ、独自の評価基準を模索しています。果たしてどのような視点で、どこを、どのように評価し、何を作者に伝えればよいのでしょうか?

■評価基準

去年の春からたったの数ヶ月、デザインの勉強を始めたばかりのみなさんが大半を占める1年生。自分のデザインを自ら作品として完成させ、発表会でプレゼンテーションするという大仕事に挑戦しています。

このような学びはじめの状態で、自分の作品を完成させるという課題を評価する場合、卒業制作の評価基準と同じなのはまずいのではないかと思い始め、自分なりに、どのような視点で、どのように評価し、それを学生のみなさんにどう伝えるのか、を考え始めました。学校の専攻は、建築、インテリア、店舗、ディスプレイ、家具、プロダクト、の6分野にわかれ、それぞれ学生たちが自分のやりたいことを自分で選択し、作品をつくります。評価は6分野すべて同じ土俵なので、優劣を決めるのは困難を極めます。(不可能といっても良かもしれません(笑))

■6分野の作品を同じ土俵でどう評価するのか(表評価)
そこで、私は、6分野の作品をなるべく客観的に、同じ土俵に並べるために、次のような評価基準を設定しました。

○評価基準Ⅰ

1,コンセプト
2,物語
3,アイデア
4,デザイン
5,プレゼンボード(A2、1,2枚)
6,発表(プロジェクターを使いプレゼ)

以上6つの要素にわけてみなさんの作品の特徴について考えてみました。6要素の意味としては以下のように考えていてます。

1,「コンセプト」「物語」→ 問題意識をもって「社会や自分と向き合あう」
1年生なので、テクニックというより「気持ち」「姿勢」「態度」
2,「アイデア」「デザイン」→ 作品をつくる「技術」
問題解決手法、デザイン処理、効果、効用
3,「プレゼンボード」「発表」→ 「他人に伝える力」
どこまで自分の思いや考え方を伝えられるか。
(なかなか思ったとおりに伝わらない。)

技術はまだ未熟な1年生にとって、何をするにも最も大切なのは、1の問題意識をもって「社会や自分と向き合あう」ことだと思ってはいますが、評価はあくまでも目の前の作品なので、大切さを伝えるのは難しく、教えるのも難しく、あまりうまくいきません。
次に「技術」。学校のプログラムはこれを中心に構成されてます。学生のみなさんが学校へ来ている目的であり、最も身につけたいことであり、向上していくのが実感としてわかり、学ぶ楽しさもここにあります。デザイン界で仕事をしていくには必ず必要な能力です。ただ、ハードデザインに偏っているので、これからの社会を見据えソフトデザイン部門を増やす必要がありそうです。
「他人に伝える力」はもしかすると、社会で生きていくために、誰しもが(時には「技術」より)最も必要なことかもしれません。すべての学校の教育プログラムでは、ここが抜け落ちているため、多くの人々が(私も)、社会に出てから苦労してしまいます。

これらを見ると、評価基準としては、従来の基準と特に変わらず、異なる6分野を客観視するための一手法でしかない事がわかります。やはり私も、学生時代に学んだことからまだ抜け切れていないようです(笑)

○ちなみに1年生の作品をこれらの6要素で評価した上での注意事項として、下記のように学生たちにはお伝えしています。

1,上記6要素の意図とそれぞれの大切さ。
2,実は、評価の上下ほど、みなさんの能力はたいして違わないこと。
3,一年生時点での作品評価結果のみの意味と無意味さ。
4,経験や技術がないからこそ、にじみ出てくる個性について
5,思い描いた理想と、現実にできた作品にギャップがあればあるほど未来に可能性があり、大きく飛躍する可能性もあること
6,1年後の卒業制作を見据え、挑戦し、失敗することの意義、大切さ、有効性について

■ここで今年の1年生の作品の全体的特徴をみてみましょう

・単なる造形的な形(ハード)だけの作品は少なく、利用する人、利用方法、効果、など、人を中心にしたソフトデザインを意図してハードデザインを考えた作品づくりをしていました。

・数年前爆発的な広がりを見せた環境問題を主題にした作品は、世の中の空気を読みとるように数少なく影を潜め、少子化、草食男子、出会い、コミュニケーションなど、国内の課題である若者たちを取り巻く環境をテーマにしている作品がいくつか見られるようになりました。大きなできごとや世相が、学生たちの作品のテーマにも影響をあたえているようです。

・イベント全体含めたディスプレイデザインなど、公共性や社会性を加味した参加型のソフトデザインを取り入れた意欲的な作品も見られました。

・クラスの仲の良さを象徴するように、ほとんどの学生が平均以上のレベルに達していました。クラスのまとまり、仲の良さ、孤立化する生徒の有無、先導的役割の学生数と質、ゼミの参加人数など、数年間全体を俯瞰してみると、全体の作品レベルに影響がみられます。

○繋がりのデザイン―ソフトデザインへのシフト

上記のような一年生の作品の特徴をみると、先ほどの作品評価基準Ⅰでは曖昧なところが出てきてしまいポイントがつかめていないのがわかります。そこで先ほどの評価基準をハードデザイン的評価とし、これから上げる基準をソフトデザイン的評価としたいとおもいます。

○評価基準Ⅱ

1,企画デザイン → ソフト的発想力
2,コラボデザイン → 組み合わせのおもしろさ
3,イベントデザイン → 参加型デザイン
4,ソーシャルデザイン → 社会性のあるデザイン
5,コミュニティデザイン → 集団や組織のシステムデザイン
6,コミュニケーションデザイン → ヒトとヒトの繋がりのデザイン

・ 実社会での実現性よりも学生ならではの発想の独自性、先進性、おもしろさ
・ 発想に基づく、組織、システム、運営などのデザイン処理技術
・ 人間、社会に対する問題意識、課題設定、解決手法、効果
など、ソフトデザイン的評価を設定してはどうかと考えています。

■そして、作品個別の特徴
1年生の作品は、1年生でしか作ることができない、最初で最後の自分の作品です。技術が未熟なため思いもよらないことが時々起こります。

A:「自分の能力を見極め、最大限と思われる1年生なりの能力をいかんなく発揮した、完成度が高く、センスが感じられる、まとまった作品」
B:「自分の能力以上の課題に挑戦し、時間と労力を最大限かけたが、技術が追いつかずまとまるはずもなく、未完成であったり、破綻してしまった作品」
C:「プロの業界的視点や常識的な大人の視点で見た時に、非常識なところやセンスがズレたところがみられる作品」
D:「体裁を整えるために、後付のコンセプトを無理やりつけて、作品の質と異なることを主張してしまった作品」
E:「密度がやたら高い部分があるかと思えば、稚拙で粗い部分があり、アンバランスさが際立つ作品」
F:「コンセプト、問題意識、姿勢、筋道、必要要素がそろいプレゼもうまいが、肝心のデザインがなっていない作品」
など・・・

来年、卒業制作を控えた、数ヶ月しか勉強していないみなさんを相手に評価する場合、A、B、C・・・を比べた時、Aに高評価を与えるのは自然で、私も実際に高評価をしましたが、B、C、D・・・が評価されないのは、リ・イマジネーション時代の今では、(私にとって)講評として想像力がなく、つまらないですね。みんなが共有する目標があり希望を持って頑張れと、胸をはっていえない今、作品のおもしろさ、魅力、何よりも可能性が、実はB、C、D・・・にあるのではないかと思い始めています。

なぜなら、一年後の卒業制作の作品を見てみますと、みなさん一年生の時から驚くほど成長し、体裁の整った”作品”としてキチンと成立しています。そこには成長を喜ぶのと同時に、バランスがとられ、整合性がとられ、技術をマスターし、表現もできるようになったがゆえの、身の丈にあった、違和感のない、予定調和的な、キチンと整列展示されているだけの作品になってしまったという、寂しさ、みたいなものも感じてしまっています。

もしかすると、1年生が作品をつくる最大の目的は、果敢に挑戦し”失敗”をするためかも知れません。自分の挑戦と追いつけない能力、理想と実際にできた作品のギャップ、作ったものと説明しているコンセプトとの齟齬、余計で異質なものを付け加えてしまった作品。これらのギャップ、齟齬、蛇足等は作品を破綻させ、滑稽にみえますが、まじめにやればやるほど、ギャップが大きければ大きいほど、なにか独特な、特別のエネルギーを発っします。その特別のエネルギーに私の感性は刺激され、いつの間にか想像力をふくらませてしまいます。そこには得体のしれぬ可能性が秘めらているのです。

そこで、評価基準Ⅲ

■評価基準Ⅲ
リ・イマジネーション的評価基準

1,挑戦度
2,ユニーク度
3,飛躍度 齟齬度
4,斬新性
5,シミュラークル度
6,アンバランス度

■まとめ。
「一年生のための自主研究作品の評価三視点」

Ⅰ,ハードデザイン
Ⅱ,ソフトデザイン
Ⅲ,リ・イマジネーション

Ⅰハードデザイン的評価
1,コンセプト
2,物語
3,アイデア
4,デザイン
5,プレゼンボード
6,プレゼンテーション(発表)

Ⅱ、ソフトデザイン的評価
1,企画デザイン → ソフト的発想力
2,コラボデザイン → 組み合わせのおもしろさ
3,イベントデザイン → 参加型デザイン
4、ソーシャルデザイン → 社会性のあるデザイン
5、コミュニティデザイン → 集団や組織のシステムデザイン
6、コミュニケーションデザイン → ヒトとヒトの繋がりのデザイン

Ⅲ、リ・イマジネーション的評価
1,挑戦度
2,ユニーク度
3,飛躍度 齟齬度
4,斬新性
5,シミュラークル度
6,アンバランス度

■作品づくりの目的→作品づくりは自由な社会で生きていく上でのスキルアップにつながる。

自分への挑戦こそが作品づくりの目的である。
これは、社会で生きていく上で、すべての人々が生きる目的として有効である。他人と比べるのではなく、自分が成長できたかどうかが問題となる。
つまり、自由課題の作品づくりは、生きていく上での目的を学ぶ教育システムとして機能する。

1,自分と向き合い、社会と向き合う。
2,自由の世界の中の振る舞い方を知る。自由の中の不自由
3,他人に伝えることの難しさを知る。自分の思ったとおりに他人は理解しない。

自由が与えられることとは、自分とは何かを突きつけられることである。自由課題が目の前に現れたとき、あまりにも広大な自由な世界で何をすべきなのかを見つけるのは、校庭に落とした一円玉を見つけるように不可能といっていいほど困難をきわめる。一円玉を探すより、校庭で友達と遊んでいた方がいいだろう。運が良ければ見つけだすことができるかもしれない。しかし、ほとんどの人が見つからずに時間が過ぎてゆく。それが標準なのだ。
期限が限られた自由課題の作品づくりはその状態を体験することができるまたとない機会となる。本当の自分の作品を見つけることはできずに、他の既存イメージと戯れることによってしか作り上げることができない。それほど自分と向き合うことは難しい。

これからの社会で必要なこと、
1,無数の選択肢で溢れた海原で、不必要なものを捨て必要なものを拾い上げ、優先順位をつけて実行してゆく力。つまり、選択肢候補の峻別と優先順位付けと実行力。つまり、マネジメント能力の習得。
2,”おもしろきことなき世をおもしろく”
仕事は自分で創り出すもの。ゲリラ戦を計画し実行する力。ゲリラ戦術の習得。
3,リスクヘッジ
不確定、不安定、流動化。常にリスクはつきまとうので、リスクに備える環境を整えておく。準備を怠らない。リスクヘッジの習得。
4,コミュニケーション+プレゼンテーション。人とつながる力+人に伝える力
5,自分の確立は不可能であることを知ること。社会の中でしか自分は存在できない。

■最後に
有効な点、無意味なところ、喜んでもらったところ、傷つけたところ、関心を示した人、無関心な人、これを通して様々なやりとりをすることができました。これは、作品の評価でありながら、私に対する評価でもあり、私にとっても多くの刺激を得ることができました。
これまで3年間、一年生の作品を講評し、二年生の卒業制作作品を見ていますが、たかだか一年間でこんなにも成長する生徒がいるのかとそのギャップに驚くことが楽しみの一つになっています。

■ 『n次創作観光』 著:岡本健さん NPO法人北海道冒険芸術出版

3月 16th, 2013


↑ この本は、わかりやすく書いてくださっているので、大変楽しく読むことができました。

 

■旅にでる理由の自由化。

一般旅行本的旅行に興味を抱かなくなっている人が多くなってしまったようです。それは、まるで自分が個性のない人であるかのように、自らを認めてしまうからかもしれません。しかし、個性があるといっても、変わった人とは思われたくない、と考えている人も多いのではないでしょうか。このような、変わった人とはみられたくないが、個性がないとも思われたくない、といううらはらの気分が支配的になってきているように思います。
大衆文化の隆盛期、自分の感性に正直な個性を前提とした多様な島宇宙化が浸透し、特に感性の異なる人々の視線を気にしなくても良くなってきているのも確かのようです。感性に正直に従い行動を起こすことの方が、より自分らしく、島宇宙内で感性を共有でき、より満足感が得られるのかもしれないですね。まるで動物が行動するように。

古い町並みや廃墟に感じ入る若者たちの姿を見ていて、いったい何を見ているのかが分からなかったのですが、なんとなくですが、なにか、目には見えないものをみているように感じました。現実の景色をみて、背後に感じる物語を勝手に感じ取り自分の中でふくらませているようなのです。

幼少の頃より超一流の創作物に身近に接しているニュータイプのみなさんは、もしかすると、背景(2D)をみただけで、身近に接していた作品のキャラクター(の残像)が脳内で動き出し、イメージを想像(創造)できる能力を身につけているのではないでしょうか。現実の(3D)景色をみたとき、すでに3Dに近づいているリアルな映像(2D)と区別することなく物語内の背景と認識し、いつしか残像として染み付いているキャラクターが脳内で動き出しているようなのです。現実の景色が実際に網膜に写ったとき、脳内の残像と現実が重ね合わさり、彼らは新たな世界を体験しているのかもしれません。

そう、多くのソフトコンテンツをみている若者たちは、自分の脳内に鮮明に映像が浮かんでおり、網膜に写り込む現実の世界と、脳内の想像している映像をりミックスさせ独自のストーリーを構築し、新たな物語を紡ぎ出しているのかもしれません。これが、現実の網膜3D+映像2D=2.5Dの正体に思えてきました。

“聖地巡礼”その目的は、劇中にでてきた場所へ出向き、地霊ともいうべき何かを感じとり、脳内に残像として現れるキャラ達と戯れ、物語から受けたパワーをさらに増幅させ、自分に取り込むことのように見えます。それは、当該若者たちにとって、神社仏閣にかわるパワースポットとなっているのではないでしょうか?そのような状況を考えれば”聖地”という名が単なるお遊びではなく、生きる上での”支え”となり、その名の通り”聖地”となっているのも納得できます。

大きな流れの中で、いったい今は何時代なのか?今どの位置にいるのか?みんなどんなことを考え、何をしているのか?自分はいったい何者で、どこで、何をしているのか?誰しもが思い浮かべる疑問だと思います。全体像をつかむのは不可能ですが、今のこの情報化社会ならば、誰しも断片的なかけらを偶発的につかむことは簡単にできます。そのかけらを集めたり、自ら作りだしたりしながら、分かりやすく解説くださっているこの本を読むと、一つの文化現象つかむことができます。現状の若者たちの状況をふまえた上で、新たな視点を提示してくださった興味深い本でした。

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n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性
著者:岡本健さん
出版社:NPO法人北海道冒険芸術出版

■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

2月 18th, 2013

福岡ビンテージビルカレッジ
第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 : 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)

着実に、よりディープに発展してきた日本のポップカルチャ(サブカルチャー)。現在、世界の最先端を走っているのではないでしょうか?しかし、日本のポップカルチャー(サブカルチャー)をリードしている若者達の”食”に関して考えてみると、はたして、日本の日常的大衆”食”文化は発展してきたといえるのでしょうか?サブカル的に発展してきたとして、発展してきた方向性はよかったのでしょうか?それを、突きつけられたような内容のお話でした。

また、「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉が登場しました。私にとって初めて聞く言葉ばかりで、新鮮な内容となりました。ここに、”食のビンテージ”のヒントがありそうです。

■ 原点 どこに帰るのか?

○ 懐かしさを感じるようになってしまった学生の食事

お話はまず森さんが非常勤講師をされている大学生のみなさんの、毎日三食一週間分の食事メニュー調査結果の一部紹介から始まりました。
出来合いのもので食べつないでいる男子学生、実家にいながらバイト先のドーナツを夕食にする女子学生。昔を懐かしく思い出しつつも、30年前と変わらない学生たちの食生活に怖さも感じました。このような食事が学生諸君の標準食として確実に定着化しているのです。
ここで森さんは、”弧食”、というご指摘をされました。私は初めて聞く言葉でしたが、一人で孤独に(寂しく)食べることを”弧食”というようです。一人暮らしや実家にいたとしても一人で(寂しく)食べる状態、つまり、”弧食化”がこのような食事メニューになってしまう一つの原因として考えられるということです。「”弧食化”が招く”食”の劣化現象」といえそうです。

○ 日本食の原点

ファストフード、ファミレス、コンビニ、弁当屋、などが登場してきた70年代から40年程経ちますが、市場原理に忠実に従い発展してきたこれらの食べ物、メニューとは、いったいどこの、だれの、何の食べ物なのか、改めて考えてみると、よくわからなくなってきました。

時代の転換期には、今までのシステムがうまく機能しなくなり、大規模な修正や、時には、まったく新しいものに更新しなければならなくなります。また、うまく機能していたとしても、方向性に問題があれば目的や方向性を改め、軌道修正をする必要があります。それに伴い、自分の考え方の変更を余儀なくされたり、根本から否定されたりすることもよくあります。私もそうですが、その時に誰しも”迷い”がでてきます。元々何を目的に何をやってきたのか?迷いの中で、いつしか時間をさかのぼり、”原点”とは何だったのか?を探し始めてしまいます。

そこで森さんは、日本人の食の原点として、「ごはん、味噌汁、焼き魚、おひたし」という献立を提示してくださりました。どのようなものでもそうですが、原点とはシンプルなものです。無駄なものはなく、必要最低限のものは網羅している。風土や地域性、歴史や民族性など必然的に生まれ出てくるものです。

右肩上がりから水平飛行時代に移った中で、”食”に関しても、近代以降の日本人にとって、あるべき本当のライフスタイルとはいったいどういったものなのか、を考える時期にきているようです。森さんのご指摘のように食の原点に立ち返るときではないでしょうか?食の原点の四品にたちかえり、”食”を考え直す。これは、何よりもまして最も必要なことのように感じました。

■ 引き算の時代 ー 本当に必要なもの=価値を見つけ出す。

○ 自由の中の不自由

元々なんだったのか?引き算していくと見えてくるものがあります。森さんは、日本食の原点とは、「ごはん+味噌汁+焼き魚+おひたし」、である。買えば何でも手に入る時代、選択肢が多すぎることで、自分にとって大切なもの、必要なものが何なのかを見失い、手っ取り早いもので済ませてしまう文化ができてしまったと提示してくださりました。これは、消費時代の有り余る選択肢の海原で漂流する難破船状態、大きな目標を見失い、目の前のことにのみ反射的に行動してしまう、ある意味、”自由の中の不自由状態”といえるかもしれません。
選択肢の氾濫、多様化が進む世の中で、必要ないものをいかに上手に捨て去り、必要なものを拾い上げることができるのかが、難破せずに、目的地に向けて航行できるテクニックの一つのようです。

○ 賃貸物件におけるマイナスのデザイン

機能の付加的バージョンアップで進んできた日本製品。賃貸物件に関しても同様で、時間が経てば経つほど価値が落ちるという宿命の中で、他物件と比べ少しでも機能、性能が劣らないようにしていこうという競争に邁進してきました。それは、最新の新築物件が最大評価となる、右肩上がりが前提のモダニズムの考え方を基準にした”リフォーム時代”の考え方です。
この考え方ですと、未来永劫、機能付加的バージョンアップをしていかなければならなくなります。これが永遠に続くことは不可能ですね。
前回の感想の中でも書かせていたできましたが、右肩上がりモダニズム時代が終わり、次の時代に移り変わっています。”リフォーム”から”リノベーション”の時代へ。モダニズム時代からリ・イマジネーションの時代へと。

右肩上がりのリフォーム時代、次々に付け加えられ、バージョンアップしていく機能でしたが、リノベーション時代に入り、逆の現象、”マイナスのデザイン”も多々現れてきています。解体撤去された化粧材、がらんどうのスケルトン状態の必要最低限にまで還元された空間。モダニズムの原点の空間がこれです。
どこに寝て、どこでくつろいだらよいのか?与えられることに慣れた入居者を惑わす空間。そこには何もないのですが、じつは入居者の想像力を最大限尊重した最大限の”自由”があるのです。見た目不自由に思える”がらんどう空間”には自由があります。”不自由の中の自由”ともいえます。

機能を引き算することで、つまり、マイナスのデザインにより、入居者のみなさんの自由度を上げるという要望に応えることもリノベーション時代には成立します。

■ 食の文化祭

○ 日常文化祭

宮城県宮崎町、地方の田舎まちで行われたイベント”食の文化祭”。各家庭から一品持ちよりで料理を集め、みんなで食べてみるというイベントだそうです。これはまさに、これからの生活中心社会にふさわしい、ありぶれた日常へ敬意をはらい、そのすばらしさを再認識する現代の文化祭ではないでしょうか。
このイベントでは、料理の優劣はつけないそうです。日常を彩る各家庭料理の多様性、そして、風土や歴史から生まれ出るその地域の独自性に価値があり、それを、自分たちで定期的に再認識し称え合い、次世代へ伝えていこうというような主旨のように感じました。

○ 行事食 伝統食 地域食

全国各地、様々なお祭りがありますが、どのお祭りも”食”の視点から見ても重要であることを、今回のお話で学ぶことができました。これまで、お祭りなどの”伝統行事と食”の関係は、私は全く考えたことがありませんでした。各地方の古くから行われている伝統行事が実は食文化のイベントでもあったのです。食の文化祭で行われた、各家庭一品持ちよりは、実は、地域の伝統行事で既に長年続いてきたことだったようです。(ハレとケの違いはありますが)

お祭り等の行事にふるまわれた行事食が、その地域独特の地域食になっていき、いつしか伝統食となっていくとのご指摘が、食文化の成立過程をよく表しており、大変興味深い内容のお話でした。

■ 何もないとは何がないのか? ー 日常の見直し時代。

○ 日常と非日常

よく、地方に行ったり、田舎に行ったりすると、ここは何もないと話したり、聞いたりします。過去を振り返ってみて、いったい何を持って、”ここには何もない”と言っていたのだろうと思い返すようになりました。
旅行やレジャーといえば、希少性のある、日常にはない非日常的な施設や行為が目的で出かけることが多いのですが、その非日常的施設や行為が”有る/無し”という視点で、勝手に決めつけていたようです。考えてみれば人が住んでいるところは、どこに行ったとしても日常があるので、非日常的視点でのみ”有る/無し”を判断し、決めつけてしまうのは乱暴すぎることがだんだんわかってきました。

○ 日常の価値

希少性のある非日常的施設や行為はもちろん価値は高いのですが、旅行、レジャーブームにより、多くの人々がそれらを求めるあまり、希少性や非日常性の価値が思った以上に高騰してしまい、退屈な日常生活の価値が低いものという評価基準が社会の常識となってしまいました。

○ 歴史も日常に目を向け始めた

歴史においても、庶民の日常生活の価値が見直されているようです。やり尽くされた為政者の歴史から、庶民の生活に焦点を当てた歴史が掘り出されるようになってきました。人間味あふれる庶民の暮らしの歴史は思いがけないことも多々あり、大変おもしろいです。

○ 評価基準の転換

近年、脚光を浴びているコミュニティーデザインは、ありふれた日常は低価値であるという概念を逆転させ、日常の価値を自らとらえ直し再定義するという評価基準の転換と再定義から始まるようです。(ここには何もないのではなく、こんなにも日常を支える様々な価値あるものにあふれている・・・という感じでしょうか。)
先ほどご紹介した食の文化祭は、このような評価基準の転換により、日常を彩る家庭食に焦点をあたコミュニティーデザインといってもよさそうです。

これらの価値を考え直すことは、”原点”とは何であったのかを考えることではないでしょうか?これからどんな考え方で、どのような目的でライフスタイルを確立してゆくのか、原点を見直し(=リ・イマジネーションし)作り直してゆくときのようです。

■ 自分で作る=セルフビルド

○ 弁当を自分で作る

ある小学校で、自分で弁当を作る日をつくり実施してみたそうです。便利なシステム内にいると自分が何に支えられているのかがわかない状態で日々を過ごしてしまいます。私も学生の頃、日々のお弁当や食事は自然と出てくるのが当たり前だと思っていました。これを認識するために自分で弁当を作ってみる、つまり、セルフビルドしてみるという試みです。

○ セルフビルドはたのしい

徐々に広がりを見せるセルフビルド。それは、生活とは何かを探している行為のようにも見えます。全てを合理的に計算の遡上に載せてしまう資本主義的考え方が、体の感覚的なものと齟齬をきたし、無理な考えなのがバレた感じではないでしょうか?他人に任せてしまい消費することで片付けてしまう意味に魅力がなくなってきた(飽きた?)ようです。もともと人が持っている手を動かしてものを作る行為が復活するのは至極当然の健全なことのように思います。

○ セルフビルドx空き屋リノベーション

有り余る建物をどうしてゆくのかは人口減少時代に突入している日本では、すでに社会問題になっています。現状の用途に合わない建物を有効利用するには、セルフビルドが有効であり、理にかなっています。むかしのように、自らの生活を自らの手で作っていくことが近代のライフスタイルにも有効で、必要なことなのではないでしょうか。

■ ポップカルチャー(サブカルチャー)X行事食

これは、これからの社会で最も必要で、最も大きな課題である”食育”と”食文化の伝承”についての具体的対応方法として有効かもしれません。偉大なる家庭内食文化が”弧食化”により有効に活用されず、次世代へと伝わることもなく、消え去ってきているようです。現在の貧弱な”弧食”の皆さんの食事を改善するために、家庭内食文化を若者たちの日常にどのように忍び込ませ、伝承させていくのか、次のようなご提案がありました。

何かのイベントに集まったときに、必ずといっていいほど”食”がからみます。その時に手作りのもので楽しむ食事、つまり、”行事食”を文化にしていこうというご提案です。
食に限らず、何かを広めたり、伝承していこうとする場合、すでに存在している若者達の集まりやコミュニティーにうまく滑り込ませることができれば、自然に広がり、伝えていくことができるかもしれません。
予想以上に貧弱な若者たちの日常”食”文化。日本全体をみても一世帯二人以下が半数を占めるようになった中で、便利であるが故の退化(?)状態の食文化をどのように立て直すのか。大きな課題です。

■ “場”

森さんは打ち合わせ当初から”場”の重要性を指摘されていました。
つまり、”場”に”食”ありです。もしくは、”場”と”食”をつなげよう、それがこれからの社会に必要ではないかというご指摘です。
私なりに考えてみると、第一の場所が住居、第二の場所が職場、そして、住居と職場以外の場、第三の場所=”サードプレイス”と”食”をつなげることで新たなライフスタイルを確立できるのではないかということです。
もちろん、住居、職場での食が最も大切なのですが、二人以下の世帯が増加し、家庭があったとしても共働きも多くなり、職場も不安定化する中、孤立し弧食となってしまった場合、これらの場所以外の”場”がもう一つあり、複数人で食卓を囲うような機会を作ることができれば、生活に少しかも知れませんが、安定感や安らぎ、安心を得ることができるのではないでしょうか?。
人口減+高齢化+少子化の社会では、余った建物をサードプレイスとして”食”も含めて活用することにより、生活圏コミュニティー全体のライフスタイルを確立できるのではないかと思っています。

■ 仮設住宅での食の文化祭

ボランティアのみなさんに、やってもらうばかりでは、実は、心の負担になるという中で出てきた自然的行為が、仮設住宅で行われた”食の文化祭”だそうです。仮設住宅にお住まいの方々が、家庭料理を持ち寄って開いた文化祭。大震災とは写真や映像に残らない多くの無形のものも破壊してしまうようです。もしかすると、行事食、伝統食、地域食、それを支える多くの家庭の日常食を破壊してしまったかもしれません。

■ 食xビンテージ  食のビンテージとは何でしょうか?

ビンテージは、個人からわき出てくる感性が元になり成立しています。ですから、広く社会に共感を得るというよりも、サブカル的な一部の島社会の中で強く共感を得るということになりそうです。個人の感性に立脚したビンテージ的価値を基礎とした文化は、サブカルチャーとの親和性がよいので、着実に広がり、定着してゆく文化ではないかと考えています。

多様なる日本食、これは、日本の風土とそこに生活している日本人気質が成し得る独自の多様なる文化です。代々受け継がれてきた食文化が、いきすぎた孤立化により途絶えようとしています。便利になりすぎた分、今や、日常的日本食がビンテージ化してきたといってもよいかもしれません。希少価値となってきた(?)日常の日本食。森さんのご指摘された試みを参考に再生していく必要がありそうです。

「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉。さすが日本人、こういった面からみても、もう既にビンテージ化(サブカル化)しているように思えてきました。多様な食の分類が、それぞれの価値の定義など、ビンテージ化の基礎となる評価基準の設定に役立ちます。これからも、よりディープに発展していくポップカルチャー(サブカルチャー)。日本の日常食をビンテージ(サブカル)と位置づけることにより新たな展開や広がりが可能になるのではないでしょうか?
これまで市場にまかせ、サブカル的に発展(?)してきた若者を取り巻く日本の日常的大衆”食”文化の方向性を軌道修正し、森さんが提示してくださった、日本の食の原点である四品に立ち返り、若者たちにも受け入れ可能な新たな食文化を作り上げていく時がきているようです。

■ 二つの不自由

「行きすぎた自由・多様化による不自由」と「付加されすぎた機能や超過サービスによる不自由」

豊かさを求め、自由を望んだ結果、わずらわしい前近代的なつながりを断ち切ったのはよかったのですが、自由な中で自分勝手が行きすぎたあまり、助けが必要なときに誰もいなくなってしまった現代人。個人を中心とした多様なサブカルチャーが発展したのはよかったですが、ますます自由→個人→孤独へと進んでいる結果、行動が制限されることもでてきたようです。(多様化と自由超過の中の不自由)

明日は今日よりよくなるという右肩上がりの時代は、付加機能の増加分や便利性が消費の動機となり利益となる、機能のバージョンアップ、多機能化が前提の時代。
いつしか使う人はおいていかれ、モノだけが独自の進化を進み出す。いつしか、これだけグローバル化した情報化、自由貿易世界にも関わらず、”ガラパゴス化”という現象まで引き起こしました。(これはこれでサブカル的視点ではおもしろい)
食生活においても、コンビニ、ファストフードなど外食産業の発達により便利になりました。しかし、自分で食事を作らなくなり食文化は衰退してゆくばかりです。この状態は、食の自由が奪われているといってもよいのではないでしょうか?(機能・サービス超過による不自由)
先ほど指摘したように、賃貸・分譲マンションや住宅産業の住居でも同様です。

■ 最後に

第1回目が”衣”、第2回目が”働”、今回の第3回目が”食”、次回の第4回目が”街”です。”住”空間を取り巻くこれらの生活空間を、新時代にあった新しいライフスタイルにどのようにリノベーションさせてゆくのか?第3回目を迎えた今回も、大きなヒントが得られた意義深いお話となりました。
次回も楽しみですね。

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第3回 食文化から生まれるビンテージ/ 2013年2月2日(土)

タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)
【略歴】
1968年生まれ。福岡県宗像市出身。バブル時代に、東京でコピーライターをしていたが、消費社会にどっぷり浸かっている自分に限界を感 じ、親の病気を口実に96年に、福岡に帰郷。以降、九州を中心に農山漁村を歩きながら、食文化、農業等の記事を書くフリーライターとなる。2002年より 2010年までの8年間は、日田市中津江村の廃校活用住宅に移住。以来、書くことにあきたらず、食を核とした地域づくり活動や、村おこしの支援、子どもた ちへの食育活動などに関わっていく。2011年より福岡市在住。天神パークビルの屋上稲作「たのしイネ」アドバイザー。都市と農村、子どもたちや若者と農 村の、あたたかな関係づくりを模索中。
【活動紹介】
農業専門誌などへの執筆のほか、地域を見つめ直し、未来の暮らしに活かす「地元学」の指導やワークショップ、特産品開発、農産加工等の助言も行っている。
2000 年より、各地の食資源の見つめ直しによる、地域づくり活動「食の文化祭」「家庭料理大集合」の取り組みをサポート「築上つけもの博覧会(福岡県築上 町)」、「古賀のみかんの文化祭(福岡県古賀市)」、「高千穂のこびる発表会(宮崎県高千穂町)」など。関わった地域は70ヶ所以上になる。
農林水産省選定「地産地消の仕事人」、六次産業化ボランタリープランナー

主催:NPO法人 福岡ビルストック研究会/(株)スペースRデザイン/吉原住宅(有)
コーディネーター
吉原勝己氏(吉原住宅(有)代表取締役)/信濃康博(信濃設計研究所所長)
場所:山王マンション/1F

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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)終了
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)終了
第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)終了
次回
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)

こちらもご覧ください
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回 「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

 

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